林浩平の《饒舌三昧》

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zoom RSS 成蹊大学では3・11関連で吉増剛造さんシンポジウム、でした

<<   作成日時 : 2017/03/14 01:24   >>

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 をちこちと 名乗りそめたり 櫻山    (高橋 睦郎)

 桜の開花までにはまだ2、3週間かかるでしょうが、先取りします。詩人の高橋睦郎さんの句集『花行』から。睦郎さんのお住まいは逗子の桜山というところ。地名にあやかって?桜の木も多いのでしょう。ご近所のあちこちで花が咲いてゆくというワクワクする気分が詠まれています。

 さて今年の3月11日は、わりあい暖かで、春近し、という陽気の土曜日でした。吉祥寺の成蹊大学で、「カタストロフィと詩〜吉増剛造の「仕事」から出発して」と題されたシンポジウムが開かれました。午後2時からのスタート、土曜日の吉祥寺はどのお店も大混雑なので、ランチはお弁当を購入して、大学の芝生のベンチで食べましょう。

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 このシンポジウム、成蹊大学のアジア太平洋研究センターが主催するもの。その研究員で、政治思想史が専門の李静和(イジョンファ)さんの肝煎りで実現したそうです。10号館の2階の教室にはかなりの数の聴講者が集まっています。6年前のあの東日本大震災という大災厄を経験して、世界の詩はどうなったか、というテーマを、吉増剛造さんの仕事を媒介にして考えよう、という狙いですね。このコンセプトの生みの親?のフランス文学者の鵜飼哲さんが、口火を切るというお役目で最初の発表が始まりました。

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 「反太陽の方位ー吉増剛造初期詩文再読」というタイトルの鵜飼さんの発表は、とても刺戟的でした。2011年の3・11のその時は、吉増さんは神楽坂の日本家屋を改装したカフェの二階で「アイデア」という雑誌のインタビューを受けていました。そしてその向いには、小生も一緒に座っていたわけです。(この日の会場には、みすず書房の編集者で、吉増さんの『怪物君』を担当した鈴木英果さんもお見えでしたが、英果さんもそこに同席されてました。)その瞬間のことや吉増さんの反応については、その年に出た詩集『裸のメモ』の書評として僕は「三田文学」に一文を草していますが、吉増さんは、その夜に開催される予定だった飯田橋のホテルでの高見順賞授賞式会場に行かれます。(式は流れました。僕もずっと同行していました。)

 鵜飼さんも、受賞者である詩人の金時鐘さんについてのスピーチを担当するはずだったよし、あれ、会場には来られたでしょうかね、もう交通手段はストップしてました。ともあれ、その出来事の確認からお話は始まって、カタストロフィを体験した詩人にとっての問題をめぐり、初期の吉増作品に注目します。初期のころから、「始原的な恐怖」の詩的形象化は観られるというのですね。そしてそんな吉増さんの詩的態度を、「反太陽」というキーワードで総括します。いわば太陽に喧嘩を売る、というのです(笑)。

 まあ去年に講談社現代新書で出た『我が詩的自伝』(小生と編集者の山崎比呂志さんが聴き手を務めましたが)でも吉増さんは、「非常時」性を生きる、という言い方で、いつもカタストロフィに向き合う覚悟はできているよしをお話されましたね。そして鵜飼さん、初期詩篇に頻出する「動物たち」の存在に注目されたのも面白かったです。動物たちへの親近感、とは人間的な価値への反発とも言えます。そしてそれは「つねにすでに起きている破局」に通じるものではないか、と。うーん、僕はここで、美術家の鴻池朋子さんが最近出した『動物のことば』という著作を連想しました。このブログでも鴻池さんの前回の展覧会に触れてレポートしましたが、カタストロフィにつながる根源的暴力の主題に鴻池さんはこだわっています。

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 続いては、フランス文学が専門でブランショ研究などで活躍されている郷原佳以さんが、「「忘れがちの記憶」、吉増剛造」memoという題で発表します。吉増さんの近年の仕事を、「皺を襲ねて展く」という表現で集約して、近著の『詩学講義 無限のエコー』や、昨年の竹橋の展覧会の図録の文章などを素材にしての分析です。「時差」という概念をひとつの鍵にしていましたが、うーん、カタストロフィの発生とその時差、ということ?そこはちょっと難解でした。

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 それから、広島市立大学の柿木伸之さん、専門はベンヤミンだそうですが、「言葉を枯らしてうたえ―吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という題で発表です。カタストロフィーの後の詩の問題、ということで、アウシュビッツの後のパウル・ツェラン、あるいは、広島の原爆の後の原民喜の例に言及されながら、3・11後の吉増さんの詩に触れます。そして、「残余のもの」、「「残傷」の分有としての想起の経験にもとづく歴史の可能性」に言及されましたね。最後に引かれたツェランの詩句「絲の太陽」のイメージは、いみじくも鵜飼さんのいう「反太陽」の志向を持った吉増さん、というところに繋がります。

 そして、以前には僕と一緒に同人誌「ミニヨン・ビス」をやっていた写真批評家で詩人の倉石信乃さんは、吉増さんの詩篇「石狩シーツ」を取り上げて、そこに登場する北海道の地名と写真映像の問題を、写真集「MOURAI望来」を出した大友真志さんや、写真集「地名論」の露口啓二さんに触れて展開しました。

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 ラストは、フランス在住の詩人の関口涼子さんです。(関口さん、このブログでも詳細レポートを行ないましたが、昨年の秋の庭園美術館でのクリスチャン・ボルタンスキー展で良い仕事をされています。ここでも「亡霊」のテーマでしたね。)関口さんは、その3・11の衝迫というものを真正面から受けとめたよし、「あれ以来、詩から追放されたようで、詩は書けなくなった」とか。関口さん、吉増さんとは2006年に『機(はた)−ともに震える言葉』という共著を出してますから、呼び名も「剛造さん」です。その剛造さんの3・11以後の仕事に「怪物君」と名づけたことのゆゆしさに触れましたが、いやあお話はずいぶんと求心的で、説得力のあるものでした。まさにカタストロフィ、大災厄に対して立ち向かうのに「怪物」的な試みを行い、それに「君」と名づけてしまった、その途方もなさ、確かにそうですね。

 とにかくこのシンポジウムの内容は、活字化して欲しいところです。「現代詩手帖」の思潮社の編集部からも、それから「三田文学」で詩を中心に編集のお手伝いをされることになったという詩人の朝吹亮二さんもお見えでしたので、どちらかでぜひよろしくお願いします。

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 シンポジウムの終わった後は、12階ホールに移っての懇親会です。いやあ成蹊大学は太っ腹ですね(笑)、会費は無料で、ワインも食事も大量に用意されてました。僕にも久しぶりにお目にかかるかたがたや旧知の皆さんもたくさんで、愉しいひとときでした。帰路のバスのなかでは、6年前のあの大厄災の夜のことなどを思い返してましたが(深夜の一時ころにようやく地下鉄や私鉄が動き出して、飯田橋から新宿を経由して、自宅のある仙川に帰ったのは、深夜の二時半ころでしたっけ)、そう、もう6年の時間が流れましたか。

 お別れの引用句、柿木さんがレジュメに引かれましたが、吉増さんの詩行を引用しましょう。

「……石を一つづつ、あるいは一つかみづつ
 うみへ
 投じて
 わたしは占う…
 ”吉凶”をではない
 歌のあるかなきかを。」

                                           (吉増 剛造  詩集『裸のメモ』より)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 相変わらずご活躍のご様子。ブログを見ているだけで何度もお会いしているような気がするのが不思議です。吉増さんのお別れの引用句ーとてもいいですね。3.11のことはともかくとして(はいけないのですが)昨日(3/15)新宿の紀伊国屋書店の古井由吉さん『ゆらぐ玉の緒』刊行記念のサイン会に行ってきました。昨年2月からの「古井由吉を読む」の読書会(八王子)も明後日18日の『やすらい花』でとりあえずは終了ということになっていた矢先の新刊のニュースでした。お元気そうで何よりでした。これでもう一回伸びるかなと期待しているところです。
あけみ・る
2017/03/16 13:22
「あけみ・る」さま、コメントをありがとうございます。おや、古井由吉さんの新作サイン会に参加されたよし、それは結構でした。古井さん、数年前に新宿の文壇バーの「風花」であった朗読会では、「どうも世間では古井というのは物故作家と思われているようですが(笑)」とジョークを飛ばされてましたが、いやいや、粘り強い「書く」ことのパワーをお持ちですね。新作、僕も読んでみます。
ミニヨン
2017/03/17 01:48

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