林浩平の《饒舌三昧》

アクセスカウンタ

zoom RSS 和歌山市内の古墳を探訪+NADiffイベント後に吉増剛造さん、79歳のお祝い

<<   作成日時 : 2018/02/26 01:30   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
 梅一輪 ひらかんとして 氷かな     (長谷川 櫂)

 梅の蕾がほころんで開花寸前。でもよく見ると、前夜の雨滴がたまったのが早朝の寒さで氷になっていた、という情景でしょう。今年の冬は寒かった。しかしもう二月下旬、武蔵野界隈の梅はかなり咲いているようですね。

 先日は、高校の同窓会や老母の介護で関西に帰省していましたが、郷里の紀州の古墳探訪、和歌山市内にはまだ訪ねたことのないところが残ってました。紀ノ川下流の北の地域です。某日、ぽかぽかと温暖な陽気なのを幸い、JR駅前の「わかちかタウン」でレンタサイクルを借り出して、いざ出発です。紀ノ川にかかる北島橋を渡ります。

画像
画像
画像
画像


 JR線の六十谷(むそた)駅の近く、和泉山脈から南に延びた尾根の突端に、大谷古墳があります。造営時期は、5世紀後半から6世紀初頭にかけて。全長67ⅿ、後円部径30ⅿの前方後円墳です。国の史跡なので、現在ではすっかり整備されていて、二か所の石段から頂上に登れます。頂上には、ここから出土した副葬品を紹介するパネルも設置されていました。

 様々な出土品があったそうですが、とりわけ貴重で有名なのは、馬冑(ばちゅう)、馬の頭部に被せる甲冑ですね。これは東アジアでは初めての発見で大陸でも出土した例は少ないとか(和歌山市立博物館に展示されています。以前に見学しました)。どうも外来的色彩の強い物が多くて、それはこの紀ノ川下流域が当時、中国や朝鮮との交易があった証しでしょう。このあたりは紀氏という豪族が支配していたよし、彼らは航海術に長けていたので、海外に進出したわけでしょう。紀氏の末裔に、あの紀貫之らもいたそうです。

 このブログでも、4年前の春でしたか、やはり和歌山市内の古墳探索というので、紀ノ川の南にある岩橋(いわせ)千塚、現在は紀伊風土記の丘となっている遺跡の地に足を運んだことをレポートしましたが、あの時も、限られた場所に、430基もの古墳が集中していると知って仰天した次第でした。どうも5世紀ころは、このあたりは先進地域で、後のヤマト王権に対抗できるくらいのプレ部族国家?があったようですね。

 さて、自転車でさらに和泉山脈の裾野にあたる坂を登って、遺跡探訪です。このあたり、東西に通じる粉河加太線という県道を車に乗せてもらって走った以外は、まったくご縁のないままでした。今はどこも住宅地になっていますが、丘陵状のこのあたり、陽射しがぽかぽかと暖かく、ああ、川が近くて南向きの斜面となると、古代のひとびとも住居をこういうところに設けたでしょう。ひときわ高い丘に、近畿大学の付属中高の校舎が建ちますが、その下の大池との間が、鳴滝遺跡。そこを越えてさらに丘に登ると、見つけましたよ、園部円山古墳です。

画像
画像
画像
画像
画像



 地蔵寺というお寺の境内のさらに上に作られた墓所のなかに、割合最近になってから発見されたものだそうです。6世紀後半に作られた直径25ⅿの円墳で、横穴式の石室のある立派なものだとか。

 この小高い墓所から、紀ノ川のほうを撮りましたが、この左方面が、永穂(なんご)という村落のあるあたり。和歌山市の永穂、ここは吉増剛造さんの遠祖の地であり、吉増さんも昭和20年の2月に疎開されていた場所です。なんとなく神話的なトポスですね。JR六十谷駅の北6キロには、あの役小角とその母をまつった役行者堂もあるそうです。次回はそちらを探訪しましょう。

 さて、古墳探訪を行った前日でした。時間が出来たので、バスで和歌浦まで出てみます。もう5時も近い夕方でしたが、だいぶ陽も長くなっていますね。この界隈も歴史的ないわれをもった名所や旧蹟がたくさんありますが、工事中の不老橋を見ながら、玉津島神社を訪ねてみました。そして裏の小高い奠供(てんぐ)山に登ります。

画像
画像
画像
画像


 玉津島神社、和歌の神様としても知られますが、風光明媚なこの地へは、古代の聖武、孝謙、桓武などの天皇も御幸がありました。彼らに供奉した万葉歌人らが歌を何首も残していますね。ごく個人的な話で恐縮ですが、実は僕の両親が昭和28年に神前結婚式を行ったのがこの神社の本殿でした。モノクロの写真が残ります。ただ、和歌の道の上達には霊験あらたかでも、縁結びのほうはさほどでもなかったようで、老母は割合早くに亡父と離婚してしまいました(笑)。僕は母親に引き取られたので「林」の姓になったわけですが。

 この本殿の後ろの奠供山には、明治44年の8月に和歌山に講演旅行でやってきて、名高い「現代日本の開化」を話した夏目漱石が登っているのですね。当時、この山には「日本最初の観光用エレベーター」が設けられて、漱石先生、それにも乗っています。そんな体験は、小説『行人』のなかで綴られていますね。主人公の「二郎」が母と兄夫婦と和歌山に旅行する、という設定でした。奠供山、元は小島だったそうですが、石段を使えば難なく頂上まで行けました。西の新和歌浦のほうをパチリ、と撮ります。

 界隈、他にも紀州東照宮や和歌浦天満宮など、由緒ある社寺も並びます。また趣きのある風景も。芭蕉は『笈の小文』ではここまでやってきて、「行春にわかの浦にて追付たり」の句を残しています。その句碑がありました。以下に画像を揚げますが、「行春を」と間違って彫られていますね(笑)。これは「行春を近江のひとと惜しみけり」の影響でしょう。

画像
画像
画像


 さて、和歌山から帰って翌日の23日のこと。恵比寿のアートショップNADiffでは、吉増剛造さんと奥さまのMARYLYAマリリアさんが中心となったOrganic Fukubukuro Orchestraの第五回目のステージでした。今回のゲストは、ギタリストの大友良英さん。吉増さんと大友さんとのライヴ、吉増さんが地下のギャラリーフロアに降りてゆき、それを映像作家の鈴木余位さんのカメラがとらえて、一階フロアのスクリーンに映写します。大友さんは一階に残ってギターを。そんな具合に、ライヴでありながら二次元?空間での同時性を提示するという、ユニークな試みでしたね。面白かったです。

 では、当日客席に配られた吉増さんお手製のミニ「怪物君」をどうぞ。1月24日から書き出されて、2月15日が最終の日付。20日以上をかけて書き込まれています。大友さんとの共演だからでしょうか、今回は特に力作です。

画像
画像


 イベント終了後はしばし吉増さんの本の即売サイン会などがありましたが、その後は近くのお店で打ち上げです。前日の2月22日は、吉増さんの79歳のバースディでしたから、サプライズのプレゼントが用意されてました。アイスクリームのバースディケーキ。それをみんなでいただいて、改めて「カンパ―イ!」(笑)。最後にみんなで記念撮影。愉しい一夜でした。

画像
画像
画像
画像
画像


 お別れの引用句、今日は珍しく?吉増さんのかつて(1983年です)の詩集のフレーズを引いてみましょう。わが吉増論でも書きましたが、吉増さん、自然に息をするように詩を綴ると、それはおのずと「うた」になるのですね。シャープな断言肯定命題にもなります。

「登高のルートを求めて、私は都市を歩行している。空に不思議な羽根音が聞こえている。
 詩を問うとき私はいつも外界を歩いていた。
 うつむき、(うつむいていると角度を振りあげるように)視覚をあげて空を見つめる。
 樹齢幾年という木。その樹がないと視覚をあげて空を見つめるということは起こらぬの
  かもしれない。」

           (吉増 剛造  「朝日の射す部屋」 詩集『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』から)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
和歌山市内の古墳を探訪+NADiffイベント後に吉増剛造さん、79歳のお祝い 林浩平の《饒舌三昧》/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる