教材としての?吉増剛造+ジョニ・ミッチェル讃のCDを求めます。
万緑を 顧(かえり)みるべし 山毛欅(ぶな)峠 (石田 波郷)
気がつけば初夏という昨今です。万緑は例の「吾子の歯生えそむる」という草田男の句で俄然有力な初夏の季語になりました。この波郷の句も、親友かつライバルだった草田男に劣らぬ、万緑を詠んだ近代俳句の名作です。昭和18年5月、30歳の時に職場のハイキングで奥武蔵に遊んだ際の嘱目吟。自解では「句の中の峠の展望に魂を奪はれ、即刻にこの句を為した」とあります。ブナの木のしたたる緑が全山を覆い、眼前に迫ります。「ば」「べ」「ぶ」の音韻にもご注意ください。
さてさて身辺いささか多用が続き、このブログも一週間のご無沙汰です。昨日は先々週に引き続き某所で法学部の学生諸君を前にしての「表象文化研究入門」の授業を終えたところです。前回は現代美術がテーマでしたからマルセル・デュシャンの話をOHPで画像を見せながら進めました。今回は現代詩がテーマ。ただ独立して詩を取り上げるのではなく、それこそ表象文化論の一環として現代アートとの関わりにおいての詩の問題を考察しようというのです。となると、やっぱり吉増剛造さんに登場頂くのが一番手っ取り早いです。映像表現(二重露光写真+ヴィデオ作品)や、身体行為(朗読+舞台上での銅版打刻)、またアート・オブジェ(その銅版自体や吉増さん手づくりのフリーペーパーetc.)の創作など、すべて詩作と密接に絡んで進められますからね。
最初に吉増さんの名前を知っているか尋ねますが、各種資格試験の勉強やらで忙しい法学部生らにはあまり馴染みがないみたい。しばらく前フリをして、まず吉増さんがどんなかたなのか、それを映像を通して確かめて貰おうというので、僕がディレクターとして2000年の夏にNHKで制作したテレビ番組「アーティストたちの挑戦」を見せることにします。二重露光をテーマに、沖縄・宮古・西表などを旅しながら撮影したロードムーヴィー?です。そこには自作朗読シーンもありますから、これでだいたい吉増ワールドのエッセンスはわかるでしょう。それから彼の詩の世界の話に導こうというわけです。しかし結局今の時点、つまり先日の舞台で「もう詩は終った」と宣言された吉増さんを知る側にとってみれば、現在の問題というのは、詩集『ごろごろ』に代表される、あの晦渋きわまりない、というか、いわば反芸術の姿勢を断固貫こうというふうにも見えるここ10年来の吉増さんの詩観・言語観に集約されてきます。ただでさえ受講生らには禅問答みたいな現代詩でしょうから、そこにいきなり『ごろごろ』と来てはますますオカルトがかった世界か、とヒカレル畏れがなきにしもあらず。昨日は、でもそれは杞憂でした。さすがに知的理解度に優れた学生が多いようで、授業後の簡単な感想レポートを見ると、吉増さんのなかの詩的アクチュアリティーというものにきちんと反応した記述が目立ちました。ま、教育的効果は少しはあったみたいですね(笑)。
なにしろ今回はうんと短い時間のなかでのダイジェスト概説でしたが、ふとこれ、つまり「吉増剛造」をテキストとして、たとえば「現代言語文化論特殊講義」とかいう科目名で一年を通して授業を展開できたら、きっと刺激的な内容になるのでは、なんてことを帰りの電車のなかで考えました。そしてぜひ一回は吉増さんご本人に特別ゲストでお出まし願わねばなりませんが(笑)。要するにひとりの詩人をとりあげた単なる文学論ではなく、多面的な現代芸術論とか、先端的な多言語多文化論(E・グリッサン風に言えば「世界の響き」論でしょう)に発展できる可能性のある特殊講義ですよ、これは。まさに21世紀の、あるいは9・11以降の言語文化を語るための「教材」としての!吉増剛造。そんなことを構想してちょっと興奮していました。
話はまったく変わって、音楽談義に行きます。このところ机に向かっての仕事の際に愛聴するCDを紹介いたします。先日久しぶりに訪ねた渋谷のタワーレコードで購入したもの。タイトルは“A TRIBUTE TO JONI MITCHELL”。つまりジョニ・ミッチェルを敬愛するミュージシャンたちがそれぞれ好みの、ジョニの書いた曲を選んでカヴァーしたいわゆるコンピレーション・アルバムです。参加メンバーが豪華なのは近年のこうした企画では当たり前かもしれません。これにもビョーク、E・コステロ、プリンス、ジェームズ・テイラーの他、友人の細川周平君が大ファンというので当方も付和雷同?で好んで聴くようになったカエターノ・ヴェローゾなど、確かに豪華な顔ぶれがクレジットされています。みなさん、ジョニ・ミッチェルファンなわけですね。いや、おおいに結構です。当方も、LP時代のジョニの作はほとんど聴いていました。
12曲が収められていて、どれもなかなか渋いアレンジ。部屋でパソコンに向かうときに流すにはもってこいです。(いや、実際はビートの利いたやかましいのも好んでガンガンBGMにしますけれど(笑)。)そのなかで一番のお気に入りは、というと、アルバム“Court and Spark”のなかの一曲“Free Man in Paris”を演奏するSufjan Stevensという歌手のパート。これ、サフジャン・スティーヴンスと読むようですが、初めて知った名前です。ネットで検索すると、アメリカの田舎出身のシンガーソングライター。しかし、アルバムが04年のHMVの英国盤年間ベスト10のアンケートに選ばれているそうですから、耳の肥えたイギリスの聴衆に訴えるものがあったのでしょう。ちなみにその年の第三位は、わが偏愛するFranz Ferdinandフランツ・フェルディナンドのデビュー盤でした。それにしてもこのジョニのカヴァー曲、僕の苦手なカントリー系のテイストも混じる唱法ではありますが、アレンジセンスが抜群によいのでしょう。これをアルバムのトップに持ってきていることからもプロデューサー氏も太鼓判ですね。関心おありのかたは、どうぞCD売り場でご試聴ください。
今日は話題があちこちに飛びます。引用句、たまたま読んでいた或る本に引かれていた一節です。実に説得的な考察だなと感心しました。このひと、フランスのジャポノロジーの泰斗で美術史研究の大物のひとり。
「日本の美術は本質的に筆意(グラフィスム)の芸術であり、文字を書くのと同じように形態を描き出す。」
(ルネ・ユイグ)
この記事へのコメント