林浩平の《饒舌三昧》

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zoom RSS 折口信夫会での富岡多恵子さん講演+カーヴド・エアの1990年ライヴ盤

<<   作成日時 : 2008/10/12 23:03   >>

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 王陵に 牛を放つや 秋の雲      (三好 達治)

 詩人三好達治は晩年、親友の作家・石川淳に向って、「俺は俳人になったら良かったかな」とふともらしたそうです。夷斎先生(石川淳の雅号)、真意を測りかねたようですが、三好達治が詩人でなかったなら昭和の時代の抒情詩はうんと寂しいものだったでしょう。ともあれ達治のこの句、けっこうお気に入りです。王の墓というのですから、丘状の古墳を指すのでしょう。しかしこれ、舞台は日本とは考えられませんね。たとえばイングランドの湖水地方あたりの緑地の風景を想像しましょう。一面の緑のなかに白い牛が放牧されて、青い秋の空には白い雲が浮かんでいます。いや、こんな解釈もあり、なのでは。真っ青な秋空に白い雲がきれぎれに浮かんでいます。それはあたかも緑の古墳に白い牛を放ったかのよう。

 さて秋もだんだんと深まっていきます。昨日の土曜の午後は渋谷の國學院大學のキャンパスにて折口信夫会の研究例会が開かれました。5月に多摩美大であって以来。國學院キャンパスは去年の6月に昭和文学会の春季大会で小生がやはり折口論の発表を行なったところですが、一年のうちにまた立派でモダンな校舎が建設されていました。学生レストランなんてどこかのオシャレな空間です。とても神道系のあの國學院、というイメージではありませんね。発表、最初は以前にこの折口信夫古代研究所におられて中央公論社の新しい折口全集の編纂に尽力された松本博明さんが、お得意の文献学的アプローチで、折口の書いた怪談?ともいうべき小説「生き口を問ふ女」などを分析されます。女の生霊が現れるこの小説、確かにナゾが色々孕まれているようです。小生ももう一度読み返して考えてみましょう。そしてもうおひとりが作家の富岡多恵子さん。「折口の大阪」というテーマで三十分のお話、それから文芸評論家の安藤礼二氏がインタビュー役を務めての折口対話、という具合に進みますが、いやあ、富岡さんのお話、スミからスミまで非常に面白いものでした。文学談話でこんな刺激的なトークを聞いたのはちょっと記憶にないくらい。

 富岡さん、ご自身も大阪のご出身ですが、大阪は難波駅近くに生家のあった折口の世界を、「まあなんとも暗いもんやなあ、思いました」と切り出されます。漫才やら元気のいいオバサンやら「もうかりまっか」という現世利益信仰?やらのイメージでバカに明るい大阪、という神話が作られているが、あれはマスコミが生んだもので、「ほんまの大阪は暗いところが強い」と富岡説。なるほど、そうでしょう。そして折口の「暗さ」を形成したのはその家庭のなかの雰囲気だった、と説かれます。つまり、信夫は折口家の三男で、その下に双子の弟が生れるのだが、彼らの生みの親は、実は母親の実の妹、つまり同居している叔母だった、というわけです。これは婿養子に入った父親がどうしようもない放蕩者だったため。折口の父親嫌いには根の深いものがありますね。

 しかしそこまでの話なら富岡さんの名著『釈迢空ノート』(岩波書店)のなかでも言及されていました。今回初めて披露された大胆な推論は、かくいう信夫自身が母親の生んだ子ではないのではないか、というので、折口家にしょっちゅう出入りしていた芸者の「寅吉」という存在に注目して、この女性こそが実母と折口自身が考えていたひとだ、と推測するのです。実際、全集には「寅吉」について触れたエッセイがあるとか。この推論、富岡さんの師匠であった詩人の小野十三郎自身が大ブルジョワだった父親と芸者の母親の間に生れた子どもであり、いったん大和郡山の養家に貰われていって、そして父親の小野家に入った、という経緯に重ね合わせて導き出されました。折口の母親に対するやや屈折した姿勢に鑑みても、なるほどそういう推論はじゅうぶん成立するのでしょうね。この「寅吉」、太棹三味線の演奏を得意とした太棹芸者だったとのこと。浄瑠璃や歌舞伎に対する折口の並々ならぬ情熱やのめりこみを思うに、もし母親に折口家の三男としてきちんと育ててもらうことがなかったら、信夫本人も賎業であった芸能人になって太棹を引いていたかもしれない、そんな姿が浮かんくる、と富岡さんは言います。

 そして折口独特のあの奇妙に曲がりくねった散文の文体についても富岡説が示されます。つまり彼は根っからの詩人なので、意味のすっきり通る散文は書けないのだ、と。小説も何度も書こうとして、結局完成まで行ったのは「死者の書」くらい。散文作品では破綻がおこる、というわけです。なるほどねえ。(これ、わが吉増剛造の場合に照らし合わせてもナットクできそう。吉増さん、根っからの詩人以外ではありません。)しかしあの粘っこい折口の文体には、「わたしの母がしゃべっていたような、大阪弁の名残りがある」という指摘もあって、これも興味深いところ。さて後半の安藤礼二氏も交えてのトークですが、富岡さんの独談は続きます。ほとんどこうなると、関西の女性漫談家の高座を聴く、かのよう(笑)。これは富岡さんの大きな新発見ですが、折口の少年期の「恋人」であったと推測する藤無染という仏教家のことについても、富岡説を受けて文献資料の渉猟につとめた安藤さんに、「わたしのヤマ勘みたいな説をこの安藤さんがぎょうさん本を調べて証拠を見つけてくれはった、警察や」とひと言。いやついこれには思わずプッと噴き出してしまいました(笑)。

 それからもうひとつ、大笑いだった富岡発言。折口は民俗学と短歌、両方に強力なライヴァルがいはった。民俗学では柳田國男、こっちは一高東大法科、文化勲章。短歌では斉藤茂吉、こっちも一高東大医学部、文化勲章。それに比べて折口は三重苦や。出身はみんなに嫌われる大阪、学校は私学、それにホモ(笑)。そやけど折口、無冠の帝王、やっぱり一番オモシロイ。

 ともあれ実に充実した女性漫談家の話芸を聞き終えた満足がありました。一足先に懇親会場のシャレた学生用レストランに到着し富岡さんをお待ちして、さらにいろいろお話をうかがおうと期待したのですが、残念ながら帰られたよし。研究会自体には60名以上の聴衆はいたでしょうが、懇親会、ちょっと寂しい人数。それでも折口の最後の弟子であった岡野弘彦先生、「八十路なかば」でなお矍鑠とお元気です。しばしお話を交わします。この夏に小生が訪ねた奈良は室生寺の話など。すると岡野先生、「僕の郷里は三重だけど西の端で宇陀郡に近いんです。室生寺まで4キロくらいかな」と。「じゃあ赤目四十八滝なんかもお近いですか」「うん、すぐそばですよ」。ほほう、それは興味深いです。今度は、車谷長吉さんの名作小説の舞台となった「赤目四十八滝」にまで脚を伸ばそうと思ってましたから、じゃあ岡野先生の郷里付近も見学してきましょう。あのあたりは「水のトポス」ですね、と申し上げると、「そうです、龍神を祀っているところが多いですしね」と岡野先生。ただエッセイで岡野先生描くところの生家の神社、うんと山深いところのようですからかなり歩く覚悟はいるでしょうが。

 さてさて次は、折口信夫の世界とはガラッと変わって、70年代に一世を風靡した?プログレ・ロックバンドのお話です。とにかく今は後期の授業期間が始まってしまいましたが、書かねばならない約束した原稿が山のようにあります。自宅で執筆するときは先ず気に入りのBGMを流すのですが、このところどの楽曲もマンネリ気味。そこで、執筆のための前景気?をつけるべく新しい音楽との出会い?をもとめて、久々に渋谷のタワーレコードに行きました。書く元気を鼓舞してくれるのはやっぱりロックですから、ロックのコーナーを物色します。しかし最近のものにはどうも食指が動きません。ふと目に付いたのが、CURVED AIRの文字。カーヴド・エア、これは女性ヴォーカルとヴァイオリンのサウンドを売り物にした70年代の英国ロックの人気バンドのひとつ。高校生のころは当時興隆したプログレッシヴ・ロックが大好きでキング・クリムゾンやイエス、EL&Pなんぞを崇めたてていました(笑)。現代音楽の作曲家のテリー・ライリーの曲名からバンド名をつけたというこのバンドもまあその系列だったでしょう。当時何枚かLPを買って、下宿の安直な再生装置で聴きこんだという思い出がありますな。

 久しぶりでこの音を聴いてみようとCDを物色すると、「LIVE1990」と題された、これは廉価な海賊版?かな、900円というお値段でベスト盤形式のが一枚ありました。こいつを買ってきて、いまもずっと部屋で流しています。ヴォーカルのソーニャ・クリスティーナ、ここでは健在です。しかし廉価版ゆえメンバーのクレジットもなくてバックはどんな面子が務めるのやら。以前のドラムにはスティングらとポリスを結成するスチュアート・コープランドがいたり(確かソーニャの彼氏だったはず)、ヴァイオリンにはロキシーミュージックのエディ・ジョブソンなんぞも在籍したはずです。ま、そんなことはどうでもいいですが、高校生時代に聴いた名曲「IT HAPPENED TODAY」や「YOUNG MOTHER」、「EVERDANCE」などを35年ぶりに聴きながら今日はこれを綴っています。

 さあ最後の引用句です。折口信夫さんに敬意を表して、歌人釈迢空、天王寺中学時代の「初恋」(無論同性への)を詠んだ一首です。

「あかしやの花 ふりたまる 庭に居りて、 人をあはれ と 言ひそめにけむ」
                                   (釈 迢空   『春のことぶれ』 「大阪詠物集」)
 
 

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コメント(4件)

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柳田國男と斎藤茂吉の共通点はもう一つあって開成中学。
もっとも柳田は郁文館に転籍して卒業はしてませんが。
[折口が郁文館で教えたのは柳田がかかわっているんでしょうか?]
地方から上京して他家に養子に入ったという点も共通。
それぞれ農林官僚と民俗学者、病院長と歌人という
2足のわらじを履いた二人ですが、江戸時代の文人には
当たり前のことと肌で知っていた最後の世代だったのでしょう。
折口にも僧にして国学者の釈契沖というモデルがあったようですしね。
熊鷹@ゆらくらす
2008/10/15 00:40
「熊鷹」さま。ひさびさのコメントをありがとうございます。しかし、良くご存じですね、色んな分野。茂吉が山形から養子として浅草の開業医の斉藤家に入り開成中学に通ったのは有名ですが、柳田も開成と縁があったとは寡聞にして知りませんでした。また折口信夫は確かに大正6年31歳の歳から郁文館の教師となりますが、その二年前に柳田と知り合っていますから、柳田の紹介があったのかもしれません。これは折口の専門家に確認します。「二足のわらじ」履き文人、文明開化のころ?はごく当たり前だったでしょう。かく言われる「熊鷹」さんも、それだけの知識をお持ちなら、いまのお仕事の他、どこかの大学で一般教養の講座くらいラクに担当できますよ(笑)。
ミニヨン
2008/10/15 10:35
時間があきましたが、9月2日の記事にもコメントしてますので、みてくださいね。

今日は山口県に出張し、帰りは北九州空港から帰途につきましたが、上空から松山市の灯りをみて、すぐそばまで来たのに寄れないのがちょっとくやしい気がしました。

熊鷹@ゆらくらす
2008/10/16 00:34
「熊鷹」さま。たびたびありがとうございます。9月2日ぶん、さっそくこの後で拝見します。北九州から羽田への便は瀬戸内海上空を飛ぶのですね。松山は、ではニアミスでしたか。いずれ松山出張のチャンスもおありでしょう。その際には隠れ名所情報をぜひお伝えしたく。
ミニヨン
2008/10/16 00:50

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