オンド・マルトノ生演奏を体験!+車谷長吉氏宅、訪問しました


 良寛に 毬をつかせん 日永(ひなが)かな    (夏目 漱石)

 短かった冬の日がめっきり長くなったな、というので「日永」は春の季語です。江戸期の漢詩人であり歌人でもあった良寛は、若いころは厳しい禅の修行に打ち込んだりしましたが、晩年は郷里の越後の庵で悠々自適の風雅な暮らし。自作「霞立つながき春日(はるひ)を子どもらと手毬つきつつこの日くらしつ」で知られるように、無邪気で円満な「良寛さん」のイメージが定着しています。漱石はまさにその良寛像を引いて、漱石山房の「硝子戸の外」?に注ぐ春の光を詠んだのですね。

 さて、四月になってやっと春爛漫の気分です。四日の夜は、先日もお知らせした茅場町の古いビル三階にある森岡書店ギャラリーにて珍しい電気楽器のオンド・マルトノの演奏会があったので、ご近所の霊岸橋界隈の満開の夜桜を鑑賞しながら足を運びました。オンド・マルトノ。その名前の奇妙な響きが印象的で気になる楽器ではあったのですが、生の演奏に接する機会はないままでした。オンドondesとはフランス語で電波の意味。マルトノはこの楽器を創作したモーリス・マルトノという人の名前だそうです。ふーん、そうだったのか。この夜の演奏を担当するのは久保智美さん。フランスに留学して国立の音楽院の専門の学科で奏法を修得されたよし。日本人の師匠は原田節(たかし)さんだそうですが、なにしろ現在の日本ではこの楽器の演奏者として名前の出る5名ほどのなかのおひとりです。久保さんが演奏する様子をじっと見ていて、単なる鍵盤楽器の奏法ではないのがとくとわかります。これはまさに特殊技能ですね(笑)。

 会場には、山の分校にあるようなオルガンとも見紛う小型の鍵盤装置が一台、鍵盤を客席に向けて据えられています。それからバラライカ?かなにか弦楽器みたいな胴体のスピーカー、そして銅鑼が付いたスピーカー。さあ演奏が始まりました。奏でられるのは電子音ですが、シンセサイザーみたいなデジタル系の音ではなくて、なんと言いましょう、アナログ系の、どこかノスタルジックな音質です。背中をこちらに向けて演奏する久保さんの手許を見ていますと色んな発見!がありました。右手は鍵盤を押して演奏するのですが、その人差し指には裁縫で使う指貫みたいなリングがはめられ、左右には細くて黒い絃が張られています。そのリングの位置を変えるたびに音程も変化します。へえー、こんなメカニズムがあるのですね。左手は、というと、鍵盤の下から突き出した引き出しみたいな小さな操作盤に乗ったまま。操作盤にはカラフルなスィッチがいくつも見えますが、ずっとひとつの鍵盤?のうえに置かれてます。どうやらそこを押さえて音に変化を与えているのでしょうか。(これがトゥッシュといって弦楽器の弓のような役割を果たすもの、とは後から知りましたが。)

 それに足元にはペダルもあって、なにしろまるで千手観音みたいにして(笑)演奏されます。これは通常の調性を持った音楽というのではありませんね。音自体にいわゆるグリッサンドがかかって伸びたり縮んだり。実に魔法みたいな不思議サウンドです(笑)。オンド・マルトノの発明は1928年ということですが、森岡書店の入るこのビルも同じ年に建ったというのですから、そうか、それで白い漆喰壁のこの空間にマッチするのですね。また今回の演奏は、ここに展示される片岡雪子さんと小川敦生さんの「白影」をテーマとしたアート作品の雰囲気を意識したもの、とのこと。なるほど、それもよくわかります。さらには福地奈津子さんというかたが今回特別に作曲したという作も披露されて(この楽譜というのがまた面白く、五線譜だけでなく折れグラフ?みたいな記号で表記されてました)、いや、この作品群と空間にきわめてうまくマッチした音楽世界というべきでしょう。得難い体験でしたね。

 オンド・マルトノのことでふと思い出したエピソードをひとつ。劇作家で演出家の如月小春さんは学生時代からの友人で、一緒に「CIRKUS」という同人誌などやってましたが、彼女は2000年12月にクモ膜下出血のために亡くなったのでした。享年44という若さです。(もう8年がたったのですね、早いもの。)そうそう、去年のちょうど今頃にたまたま東大の駒場キャンパスで「劇団綺畸」の新入生歓迎の立て看板を見つけて感激した、ということはこのブログでも述べましたが(笑)、「綺畸」こそは如月小春が主宰して創立した東大+東女の学生劇団でした。その劇団がなお残っているというのは嬉しい話です。その如月小春さんは元来は現代音楽が好きで詳しくて、「綺畸」やその後の「劇団NOISE」の芝居でも音楽は大事でした。或るとき、どんな経緯からだったか、このオンド・マルトノに言及して、「一度ぜひ使ってみたいわ」と強い口調で言ったことが忘れられません。今回初めてその音に触れて、彼女が使いたいと言ったわけもわかるような気がしました。元気でいたなら、どんな舞台を創造しているでしょうかね。それを思うと淋しいですが。

 さて今日は「折々の句」に漱石を引きましたが、現在は愛知の明治村に移築された漱石山房が建っていたのは、文京区本郷の向丘。日本医科大学のすぐ脇で、いまは跡地に記念碑が残るばかり。先日、地下鉄南北線を「東大前」で降りて、古い和菓子屋の「一炉庵」の角を曲がり、この漱石旧居跡を越えてとある路地を訪ねました。そこに作家の車谷長吉さんが奥様で詩人の高橋順子さんとお住まいです。「遊びにおいでや」とお誘いいただいたのは四年前でしたから、長いインターバルをおいて実現を果たす次第。「本郷に中古の一戸建てを購入した」とはエッセイなどで書かれてますが、お邪魔したお宅はまあちょっと面白い構造です。なんでも戦前の建物で、以前は女子大生専用の下宿屋であったとか。道理で四畳半の部屋がいくつもいくつもあるのでしょうね。そのいくつかを使っておられますが、いかにも「下宿空間」というのになおこだわるというのは、「生涯一書生」として「勉強」に励むという気合いからでしょうか。「ずっと朝4時に起きて原稿に向かうんや」とのこと、それは見習わないといけません。文壇こぼればなしなど色々と興味深いお話しをうかがいました。「私小説」廃止宣言を出されましたが、まだまだたくさん「私小説」の材料はあるようですがね(笑)。

 お別れの引用句、いま原稿で取り組んでいる対象のひとり三好達治から引きましょう。戦争期に三好は福井県の三国町に疎開してその地で詩集『花筺(はながたみ)』を刊行します。花の名前が各篇に詠まれた短詩を集めたもの。いまの季節にピッタリのこの四行詩はどうでしょう。三好の念頭にあの良寛のことがちらとかすめたのでは。

「牛のまなこもねぶたげに
 お室(むろ)のさくら咲きにけり
 ただうらうらと春の日を
 遊びくらせし日の夢や」
                                       (三好 達治 「牛のまなこも」  詩集『花筺』)

この記事へのコメント

かもめ
2009年04月05日 22:43
オンド・マルトノ デビューおめでとうございます。他に似た楽器でテルミン(映画にもなりました)があり、こちらはもっとシンプルで、最近はマトリューシュカにテルミンを内蔵して手軽に演奏できるマトリョーミンというのまであります。

オンド・マルトノといえば、やはりメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」です。ぜひ一度は生でお聴きになってください。原田節さん、もちろんオンド・マルトノ奏者の第一人者ですが、実は彼のシャンソンは絶品です。本場フランス仕込みの、かなり猥雑な艶歌も自在に歌い上げます(もちろんピアノの弾き語りで)。最近シャンソンコンサートがぱったりないのがさみしいのですが…
ミニヨン
2009年04月06日 00:26
これは「かもめ」さん、勅使川原三郎ダンスのコメント以来度々のコアで有意義な情報をありがとうございます。しかしお詳しいや。オンド・マルトノと来るとやっぱりそのメシアンの交響曲が挙がりますね。生で聴くチャンスはなかなかないでしょうが、CDでそれを聴いてみようと思います。僕は現代音楽にはそれほど通じているわけでないのですが、メシアンとブーレーズとルイジ・ノーノあたりは気になる存在ですので。
熊鷹@ゆらくらす
2009年04月06日 23:54
初期の電子楽器に比べてデジタル楽器というのはマン・マシン・インターフェイスが意外と保守的ですね。大体2種類のキーボードのどちらかなんですから。なかでは去年発売になったヤマハのテノリオンは面白いですよ。You Tubeで演奏ビデオを見ることができます。

一炉庵は京風が幅を利かせている昨今の和菓子界にあって江戸の気風を強く感じさせる名店です。本郷キャンパスの南側には「藤むら」もあるのですが、こちらは今は店売りはせず羊羹の予約注文だけなのが残念です。ここの羊羹は漱石が好んだのだそうです。

仁和寺の御室桜が咲くのはもう少し暖かくなってからですね。陽光のなか背の低い桜の木に大振りの花が一面に咲くのは見ものです。40年前京都に中学校の修学旅行で行ったときにちょうど満開だったのを思い出します。今は開花状況を知らせてくれるブログもあったりします。
http://blog.livedoor.jp/omuroryu/
ミニヨン
2009年04月07日 00:49
「熊鷹]さま、お久しぶりです。フランス歌曲だけではなく、最新電子楽器にもお詳しいとは恐れ入りました(笑)。また和菓子にも見識をお持ちであるのは、以前に頂戴した桜餅?がとても上品なお味だったことからでも納得ですが。本郷界隈は、「藤むら」といい、お蕎麦の蓮玉庵といい、近代文学ゆかりの店がなお残りますね。「御室桜」、三好達治は三高時代に京都で暮らしましたから、馴染みがあるのでしょう。しかし、中学時代の修学旅行の記憶をよく保存されていますね。あ、修学旅行、僕は反対に関東方面に来て、春の雪の積もった日光東照宮と、そうだ、夜の本郷は東大、三四郎池を散策したことを覚えています。40年前ねえ(笑)。

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