林浩平の《饒舌三昧》

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zoom RSS 真夏の高野山・根来寺を訪ねました+松濤の吉増さん展、山根基世さんゲストに声をテーマのトークでした

<<   作成日時 : 2018/08/29 01:34   >>

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 夏山に 虹立ち消ゆる 別れかな        (芥川 龍之介)

 奇想句も多い芥川ですが、時にこんな若々しい抒情句も残します。この夏の日本列島、酷暑がまだ続き、とてもこんな具合に夏山の虹を賞翫できません。

 さて、暦のうえでは晩夏の先週、郷里の紀州に帰省した際に、久々に高野山、そして根来寺を訪ねてきました。下界は猛暑で大変だったという一日、霊峰・高野山に登っておりました。簡単にレポートを。

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 滞在していた和歌山市からは、JR和歌山線で紀ノ川をさかのぼり、橋本駅で南海高野線に乗り換えます。そして極楽橋駅からは、ロープウェイで高野山駅まで。きっと通常の八月なら、ここまで来ると大気はひんやりのはずでしょうが、今年の猛暑ではさほど御利益があった感じではなく(笑)。

 門前町?はバスで移動です。最初に金剛峯寺を訪ねました。大主殿はさすがに立派ですね。現在の建物が再建されたのは、文久3年、1863年です。ということは、森鴎外先生が生まれた翌年かあ、と納得。

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 内部も見学します。説教?のために新築された広い講堂には、これは空海の像なのでしょうが、なんだか噺家のオジサン、といった感じ(笑)。観光バスなんかでどっと大勢が詰めかけるのでしょうが、どうしてもそうなると、大衆化=俗化が起こって、原宿化現象が生まれます。困ったことです。

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 壇上伽藍にも足を伸ばします。ここは創建者の空海の発案で、いくつものお堂を集めていわば一種の立体曼荼羅?としたかった空間でしょうが、肝心の根本大塔が落雷などで何度も焼失した結果、現在のは耐火性を考えたわけでしょう、コンクリート作り(昭和12年再建)というのが、なんとも興醒めなのですね。紹介するのは、それなりの雰囲気のある三昧堂と、こちらは国宝ですね、不動堂のふたつだけにしましょう。

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 高野山の中心は、何と言っても、いまも空海が眠っている!とされる御廟のある奥の院です。まあ聖域だから仕方ないのでしょうが、御廟周辺は「撮影禁止」の野暮な看板があっちこっちにあって、これも僕は気に食わないなあ。寛大な空海さん、現在なら自由に撮ってSNSで拡散させてもいいよ、と仰るのでは(笑)。

 奥の院の墓石群、有名な江戸時代の大名たちの墓やら、この国を代表する大企業の会社墓?やらが林立します。宗派を問わず、というのは結構です。法然の墓石を見つけて撮影しました。さすが、この空間では、一種の霊気、ですね、冷気とともに霊的ななにかを感じることが出来たようです。


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 さてその後、「晴れ男」の僕にしてはこの夏の紀州は台風に好かれてしまったようですね、先月の新宮滞在の時に続いて、今度は台風20号が北上して四国に上陸、和歌山はモロに影響を受けて、予定した神戸での会合には参加できませんでした。20号が日本海に抜けた翌日も荒れ模様が残って、俄雨が何度も来たなかを、今度は根来寺に詣でました。上の画像は大門、江戸末期の建築です。

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 そもそもこの根来寺、はじまりは、平安末期の1130年(大治5年)に覚鑁上人(かくばんしょうにん)が、鳥羽上皇の勅願を得て高野山に伝法院を開いたことによるもの。この覚鑁上人、金剛峯寺との対立から、山を下りて紀ノ川流域のこの現在の岩出市の根来の里に伝法院を移したことから開けました。そしてここに高野山に負けないくらいの一大伽藍が整備されていきます。

 戦国時代には、僧兵を多数抱えて(一万人ほどだったとか)、種子島に伝来した鉄砲をいち早く複製して武器とし、根来衆といえば、当時は名だたる武闘派集団でした。織田信長とは組んだのですが、豊臣秀吉とは対立、焼き討ちにあって、大塔と大伝法院以外はほとんどが焼失してしまいます。

 根来寺、和歌山の市内からさほど離れていないので、僕が中学生のころは、友人ら何人かと自転車ツアーで訪ねたこともありました。その後も二度ばかり来ているはずですが、どうも境内の風景、ガラリと変わったようです。昔は拝観料500円なんてとらなかった、自由に見て回ったと思います。しかし、なかなか立派なこの寺域の維持管理には費用もかかるでしょう。大勢の参拝客(観光客)がいた高野山とは打って変わって、こちらではほんの数組、ひと組は中国のひとたちでしたが、ひっそりとした根来寺でした。

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 聖天堂と行者堂を紹介しましょう。前者は享保年間の建立で、正面の朱塗りの壇は根来塗ですね。後者はその名の通り、修験道の始祖である役行者(えんのぎょうじゃ)を祀ったもので、こちらも江戸期の建立。護摩壇が見えます。そう、ここは役行者と所縁の深い葛城山も遠くないのですね。そこらあたり、武闘派だった根来衆と関係するのかな。

 徳川御三家のひとつである紀州藩とのつながりもあったようで、名勝庭園、紀州藩の別邸の庭を移築した、という池泉式蓬莱庭園です。

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 根来寺のシンボルは、天文16(1547)年に建てられた大塔です。これは国宝。(高野山のとはえらい違い。)その向こうの小ぶりな堂は、大師堂で、鎌倉期の建造物ゆえ重要文化財。そして大日如来などを祀った大伝法堂、この三つが並ぶ空間は偉容でした。

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 さて、画像の世界がガラリと変わりました。紀州のお寺から現在の東京に話題は飛びます。渋谷区立の松濤美術館で開催中の「涯テノ詩聲 詩人吉増剛造」展のことは先日、このブログでもご紹介しましたが、その関連イベントとして、元NHKアナウンサーの山根基世さんをゲストにお迎えしての集まりが26日日曜日に開かれました。山根さんと吉増さん、これまでもおふたりで主に子どもを対象とした詩や朗読の公開授業?を行なってこられたそうで、実は名コンビなのです(笑)。

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 山根基世さん、NHKを退職された後も、NHKの番組でナレーションをよく担当されていますね。この8月も、注目すべき大型ドキュメンタリーシリーズ「映像の世紀」が放送されましたが、そこでも山根さんがナレーションでした。(このブログではすでに何度か言及しましたが、NHKは毎年8・15の終戦記念日前後には、必ずあの第二次大戦を素材にした特別番組を編成して、俄然「反戦チャンネル」になる、というのは、わが古巣ながら頼もしい限りだと感心しています。)

 また山根さん、「声の力を学ぶ」という連続講座をお持ちのよし、朗読する声、その力の大切さを多方面のゲストと考えようとする講座だそうで、吉増さんも特別講師で招かれたとか。それは興味深いですね。

 山根さんのお話しで面白かったのは、「アナウンサーの仕事で大切なのは、言葉の意味を正しく伝えること。人間の息つぎは2秒から7秒までで行われます。ですから、そのひと息の間に、まとまった意味の言葉を伝達することがポイントです」というもの。朗読する際に、テキストの句読点にはこだわらなくていい、というわけですね。よくわかります。

 会場には、朗読のテキストとして、山根さんからは日本の昔話である『ふるやのもり』が、吉増さんからは、詩集『熱風』に収められた詩篇「絵馬、a thousand steps and more」が配られました。

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愉快だったのは、吉増さんの詩篇「絵馬」の冒頭箇所を、山根さんからの促しで、会場の聴衆のうちの何人かが朗読にチャレンジしたこと。各人各様に、です。そして、最後には吉増さんご自身での朗読でした。これは、渾身の力を声に注いだパワフルなもの。まさに吉増さんのスピリットが籠められていますね。

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 最後は、この日も会場の隅に、お守りのように飾られていました、吉増さんご愛用のピンチハンガー、それが紹介されます。洗濯ばさみの先には、吉増さんが鍾愛されるタカラガイやら、アメリカインディアンのカチーナドール、それに昨年暮れに亡くなった吉増さんのお母さま悦さんからの葉書、などが下がっていました。いやあ、それこそ声の力で会場が一体化した、良き時間でした。

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 この日の会場には、もう20年前になりますね、1998年に放送されたNHKの「土曜・美の朝」という美術家のアトリエ訪問の番組に出演した、版画家の柳澤紀子さんがお見えでした。この番組のレギュラー司会が山根アナウンサー。そしてこの時の番組の演出を実は僕が担当したのでした。僕自身、NHKディレクターは1984年に退職していて当時は東横女子短大の教員でしたが、しばしばNHKで仕事をするようになってました。この番組以来、山根さんと紀子さんのおふたりはお親しいのです。紀子さんは吉増さんともお親しい。この日はまた、紀子さんの夫君の伯夫さん(金融担当大臣も務められました)もご一緒だったので、では美術館の近所のビストロで食事会でも、となって、そちらに移動します。

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 吉増さんは、こうした集まりの後の打ち上げ会をとても大事にされますね。訪ねたのは、フランス料理のお店ですが、ごくカジュアルな感じの「アルル」です。シャンパンで乾杯、ワインも出て来るお料理も美味しかったです。松濤の担当学芸員の平塚泰三さんご推薦のお店です。

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 お店のかたにお願いをして、店内と店の前とで記念写真、です。吉増さん、山根さん、お疲れさまでした。

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 お別れの引用句、この日のトークにもちらと名前が出ましたが、現代のイタリアの思想家のジョルジョ・アガンベンの言葉としましょう。アガンベンは、去年に邦訳が出た『哲学とはなにか』に収められた論稿「音声の経験」でも、「声」というものを思考の対象にしていますが、今回引くのは、『言葉と死』(筑摩書房)のなかの、この含蓄に富んだ一節です。

「〈在ること〉は、言語活動の生起の開示として、「スピーリトゥス(spiritus〔気息・霊・精神〕)」として、音声のうちに存在しているのである。」
                       (ジョルジョ・アガンベン 『言葉と死』 (上村忠男訳))

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