林浩平の《饒舌三昧》

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zoom RSS 甲府桜座では帷子耀さんイベントに吉増さんゲスト参加+山梨文学館では草野心平展+吉増展閉幕です

<<   作成日時 : 2018/09/25 02:23   >>

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蜘蛛の巣に 露あたらしき 朝ぼらけ     (吉岡 実)

 詩人の吉岡実さんは、句作りとなると、超前衛の詩人から一転、季節の情感を繊細にあらわす花鳥諷詠を基本にしました。この作、朝がた、蜘蛛の巣に光る露を詠んで、大気の湿り具合もよく伝わってきます。

 さて9月20日、甲府市内の桜座というライヴスポットで行われたイベントをレポートしましょう。「伝説の詩人」帷子耀(かたびら・あき)さんの詩集『習作集成』(思潮社)の刊行を記念して、そこに吉増剛造さんの大著『火ノ刺繍』がジョイントする恰好で、おふたりが出演されます。会場の桜座、甲府の街の繁華街のど真ん中にあるライヴスポットですが、ジャズを中心にかなりのビッグネームがライヴを披露するようですね。

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 19時からの開演、15分くらい前に行くと、和風の桟敷?形式の座席はほとんど満員、一番前の座布団に座りました。上手の脇の椅子に、吉増さんと和服の帷子耀さんが座って出番を待ってられます。ステージには、例によって、吉増さんの怪物君が広げられていました。お香も焚かれています。

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 開演です。壇上には帷子耀さん、今度「現代詩手帖」に発表されるという「手紙」という作を朗読されます。帷子耀さん、とにかく1960年代末の現代詩の世界に彗星のごとく登場されたのは、なんでもまだ10代半ばの中学生、そして高校生のころだったとか。寺山修司や若いころの吉増さんらから高い評価を受けて、「現代詩手帖賞」を1970年代初めに受賞され、その後一冊の詩集だけを残して詩壇から忽然と姿を消しました。僕など、詩を書き出したのは20代の後半という晩稲ですから、「帷子耀」という名前は、いわば神話的詩人として認識していた次第です。そのご本人が眼の前におられます。ずっとご年輩かと思っていたのですが(和服姿は貫禄がおありですが(笑))、後からうかがうと、僕の一学年だけ上という年齢のよし、これまた驚きでした。

 朗読されたテクスト、これが瀧口修造と18歳のとき出遭った際の体験談も含めて実に興味深いもの。言葉自体がたいそう明解なので、聴衆のなかへもどんどん入ってきたでしょう。そして結果として、「1000年後に残る現代詩人は、吉増剛造ただひとりです」という、吉増さん論になっていました。いやあ盛り上がりました(笑)。

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 そして吉増さんの登場です。『火ノ刺繍』を手にして語りかけが始まりました。当夜に配布されたパンフレットに、原民喜の詩篇「燃エガラ」が載っています。それへの言及があって、さてもう吉増さんの語りワールドですね(笑)。

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 その後は、吉増さん、マスクにアイマスク、といういでたちで、怪物君のうえに白いインクを注ぎます。インクの飛沫が周囲に飛び散り、狼藉の跡を残していくわけですが、このパフォーマンスの強度というのは、どこか土方巽の舞踏の表現にも通じるように思います。アナーキーな「実験」精神の実践です。「実験」という概念を、瀧口修造は重んじて、自らの詩的テクストを『詩的実験』と名付けたわけですが、瀧口はまた、土方舞踏の熱烈な支持者でもありました。

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 おしまいにはピンチハンガーの登場です。そこには宝貝やインディアン(「ネイティヴアメリカン」ではなく、誇りを持って、自分たちは「インディアン」と称するそうですよ)のカティ―ナドール、それに亡くなったご母堂の悦さんからの葉書などがぶらさがっているそうです。そしてエンディングでした。なんだかとても刺激的な時間でしたね。聴衆の静かな熱狂ぶり、というのが感じられました。130人ほど集まったとか。

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 そのあとはサイン会です。『帷子耀習作集成』も大勢の購入申し込みがあったようです。また吉増さんのサインをもらえる、というので、『火ノ刺繍』のほうも売り上げ上々、結構でした(笑)。

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 ウチアゲです。桜座の斜め前のお店「アルフィー」に大勢が集まります。3000円の会費を払うと、「アルフィーの出来事」という文字のあるリストバンドを巻いてもらえます。面白いねえ。この会も愉快でした。

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 一夜が明けて21日、同じ甲府の街にある山梨県立文学館では、草野心平展のオープニングでした。

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 草野さん、1903年に生まれて1988年に亡くなられたので、「没後30年」企画というわけです。副題が、「ケルルン、クックの詩人、富士をうたう」とあるので、そうか、富士山の県であるここ山梨県での開催なのですね。

 僕は、草野心平さんとは一度、1984年は11月13日でした、銀座資生堂の旧館のホールです、吉増さんの詩集『オシリス、石ノ神』の花椿賞の受賞パーティーの席上でお目にかかっています。同人誌「麒麟」のメンバーの朝吹亮二さんらと一緒に、草野さんの秘書?の女性のかたが、紹介くださったのでした。当時僕は30歳。しかし81歳の草野さん、若い男どもには興味はないようで、「あ、そう」と素っ気なかったな、という印象です(笑)。そりゃまあ仕方ありませんね。

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 県立文学館は、県立美術館と並んで、芸術の森公園の敷地にあります。甲府駅前からバスで15分くらい、でした。開展式は午後2時から、館長の歌人である三枝昂之さんのご挨拶などに続いてテープカットです。よく存じ上げる詩人の蜂飼耳さんや近代文学研究の阿毛久芳さんらがハサミを入れました。

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 さあ、後は図録を接写して、展示内容を簡単に紹介します。

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 草野心平といえば、「銅鑼」、「学校」、「歴程」などの詩誌で活躍しました。そこに宮沢賢治などを引っ張り込んで、眼をつけた才能を世に出した、という功績も忘れるわけにゆきません。図録の文章で、蜂飼さんが「親身になる力」と題してそのあたりに注目しています。

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 展示品は、いわき市立草野心平文学館の協力で、なかなか充実しています。僕は、1974年から亡くなる前年まで、年に一冊として筑摩書房から刊行された年次詩集、合計12冊ありますが、これは割合評価しています。どれか一冊を購入しているはずですが、書架をざっと見ても探せませんでしたが。そうそう、入沢康夫さんが編集した岩波文庫の『心平詩集』、愛読したこともありました。

 さて、今日はもうひとつの話題、松濤美術館の吉増剛造展、とうとう24日(月・祝)の午後6時で閉幕となりましたので、その速報を。4時半から、二階の展示室で、吉増さんのラストトークです。図録のデザインにも協力されたという藤本京子さんが、持参の法螺貝を吹いてスタートでした。

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 吉増さん、足利市美から始まって、沖縄を経てここ松濤まで、昨年の11月3日からスタートしたこの巡回展を振り返ってのお話です。中心になった足利の学芸員の篠原誠司さんの労をねぎらいます。そしておしまいは、展覧会チラシを材料にして作った手作り栞を皆さんに配って、「お土産だよ」と。これにはみんな大喜びでした(笑)。

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 閉館後は、近くのポルトガル料理の店に、松濤の担当だった平塚泰三さんや吉井大門さんもご一緒しての慰労会、でした。ほんとうにお疲れさま。さすがに篠原さんは感慨深げでした。お店での記念スナップです。

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 お別れの引用句、ここはまた草野心平に戻って、入沢康夫さんの詩を引きましょう。副題に、「草野心平さんの没後一年にあたって」とあります。これを朝日新聞の紙上で読んで感銘を受けたことを思い出します。

「わたしたちの方の 暦では
 ちやうど一年がたちました
 穴ぼこは
 星もまばらになつた銀河宇宙の世紀末に
 ドボンとあいた大きな大きな穴ぼこは
 あひかわらず穴ぼこのままです
 誰に これが埋められるでせう
 (略)
 さやうなら もう一度言ひます さやうなら
 地球はますます《寒くて暗い冬》です」

                        (入沢 康夫     「東はさびしいNile Blueで」) 

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