松山での「くるきちの会」に参加+久万美術館の森堯茂展を鑑賞+ロックバンド、活動再開です


三月や 水をわけゆく 風の筋(すじ)    (久保田 万太郎)

 俳人の小澤實さんが「静かな水面を風が分けてゆく。波が生まれるのである。波と書かないで波を感じさせているのがうまい」と鑑賞していますが、その通りですね。ゆっくり春という季節が始まる、それを実感させてくれる一句でもあります。

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 新型コロナウィルスへの対応で列島中が落ち着きません。色んなイベントが中止になったり延期されるのはもどかしい限りですが、そんななか、羽田空港から四国は松山に飛んで一泊してきました。2月29日に、松山の市内で「くるきちの会」が開かれたので、それに参加するためです。「くるきち」、市内の北京町(きたきょうまち)にあった呑み屋でしたが、1987年の2月28日早朝でした、漏電?による失火で店が全焼、店のママの金子信子さんが亡くなる、という悲しい出来事がありました。僕は1978年6月から1981年8月まで、NHK松山局のディレクターとして働きました。ここには詩人の栗原洋一さんに連れてきていただいたのですが、カウンター中心のこの狭い店の空間に漂う独特の雰囲気に惹かれて、時間のある週末はほとんど呑みに来ていましたね。彫刻家の森堯茂さんと知り合ったのもここで、でした。

 それ以来、「くるきち」と「おばちゃん」こと金子信子さんの命日にあたる2月28日前後には、市役所に勤めていた河野久和さんが世話役となって毎年「くるきちの会」が開かれて、店のあった場所に近い公民館の二階座敷に常連の皆さんが集まったのでした。僕も、NHK退職後も俳句関係の番組の演出や司会の仕事を依頼されて、NHK松山局を訪ねることがしばしばあり、この会に一度参加したことがありました、もう20年以上前だったでしょう。その後、この会は中断されていたそうですが、今年は「あの日」から33年、いわゆる三十三回忌にあたる、というので、河野さん、今度の集まりをセットくださいました。今回は居酒屋の二階の座敷に、金子信子さんの遺影を置いて、さあ懐かしい顔が集まりましたね。

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 しかし33年の間には、「くるきちの会」の常連だった皆さんにも物故者が何人も、です。森堯茂さんは2017年の11月に亡くなり、またNHKの先輩で音響専門のエンジニアで大の芝居好きだった柿谷功さんも数年前に亡くなったよし、寂しいことです。河野さんが、公民館で開かれていたころの会のスナップ集を持参くださったので、接写しました。宴会のあとに、みんなで「くるきち」のあった跡を訪ねて手を合わせているスナップもありますね。なかに一枚、僕が参加した折のスナップを見つけます。当時はスーツでした、若いなあ(笑)。

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 宴たけなわですが、久しぶりに顔を合わせた皆さん、近況の報告を、というので順次ショートスピーチです。存じあげていた渡部哲さん、中村宗源さん、谷口三洋さん、大西司郎さん、お久しぶりでした。それに昨年は詩集『岩船』を書肆子午線から刊行して評判です(僕も稲川方人さんと一緒に解説を書いていますが)、栗原洋一さん、いや、東京から訪ねた甲斐がありました。

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 翌日の午前に、市内の道後温泉の少し北にある円満寺の金子信子さんのお墓に、ゆうべの会のことを報告してきました。墓石には、「妙法浄正院妙芸日信信女」という戒名と「享年七十四歳」の文字が刻まれていますね。道後温泉の本館、ちょうどリニュアル工事の最中で、派手なカバーがかけられていました。

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 松山市の隣の久万(くま)高原町にある久万美術館では、ちょうど森堯茂さんの三周忌に合わせて、森先生の彫刻作品の集中展示が行われています。高木館長が車でお迎えくださったので、去年の10月に企画展を鑑賞して以来半年ぶりの久万美を訪ねました。「風の通る彫刻 森堯茂 点と線」、紹介しましょう。

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 エントランスフロアに一点、「鳥No.1」と題された森先生の作が展示されています。1953年の作ですから、抽象彫刻を手掛けだした初期のものですね。鉄の素材が主な森作品ですが、初期にはこうしたセメントを用いた作もありました。これは新しい館蔵品とのことです。

 展示フロアは二室です。こちらには1960年代前後の充実期の代表作が並びます。順に、「巣No.18」(1961年)、「罠」(1958年)、「とりこ」(1958年)、「乾燥地帯」(1962年)です。ご覧ください。

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 もうひとつのフロアには、「Lの空間」(1965年)や「海からのメサ―ジュ」(1982年)など、モアレ模様をモチーフにした一連の作品が集められています。

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 他にもまだこんな作品が展示されていますよ。

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 久万美術館、他のフロアではこの館の財産である井部コレクションを中心に、収蔵品のなかの名品を展示しています。主なものを紹介しましょう。

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 上から順に、村山槐多の「裸婦」、長谷川利行の「のあのあ」、曖光(あいみつ)の「鳥」、萬鉄五郎の「風景・モノクローム」です。いずれも小品の油彩画ですが、松山出身の美術評論家で画商でもあった洲之内徹氏が、山林地主の井部栄治氏が美術品を収集するにあたってアドバイザーを務めたといいますから、みんなキラリと光るところがあるのですね。これらの展示、会期は5月10日(日)までです。ただし、新型コロナウィルス禍のために、3月3日(火)から25日(水)までは臨時休館を余儀なくされるとのこと。これらを久万でゆっくりご覧になるには、4月になってから、としてください。春も本番でしょう。

 さて、おまけで?ロックバンドのセッション風景を。彩流社から僕の編著として『ロック天狗連』という本を出したのは、東日本大震災直後011年の6月でしたが、その本に関わるメンバーでおじさんバンドを結成、洋楽のハードロックを中心にカヴァーしています。僕の還暦を記念してもらって、当時勤務していた恵泉女学園大学の学園祭の野外ステージでライヴを行なったのは2014年の11月でした。この時は、日本を代表するフュージョンバンド「カシオペア」のギタリストの野呂一生さんにゲストで加わっていただき、CREAMの”WHITE ROOM”と”SUNSHINE OF YOUR LOVE”をセッションしておおいに盛り上がりました。しかし、その後5年間バンドは活動休止の状態。僕はベース&ヴォーカルですが、愛器のアイバニーズのベースをずっとケースに入れっぱなしでした。(せっかくですから、その野呂氏との共演のステージスナップをご覧ください。)

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 そんなとき、2013年の夏に講談社選書メチエの一冊として僕が出した『ブリティッシュ・ロック 思想・魂・哲学』の担当編集者だった山崎比呂志さんとお酒を呑んでいたら、クラシックにもジャズにもロックにも詳しく、ことにクラシックピアノのヴァレリー・アファナシエフさんの信頼絶大で、アファナシエフさんの著作も出している山崎さん、「そういえば林さんの学生時代のバンドのライヴ音源のなかのオリジナルの「鴉」という楽曲、あれはとてもよく出来ていますね」と口にされました。奇蹟的に?残っていた40数年前のライヴ音源を山崎さんに聴いていただいたのは、『ブリティッシュ・ロック』を書いていた7年前!ですから、よくまあ曲名まで覚えてくださっていた!「そうですか、じゃああれをいまのバンドでやりましょう」という成り行きになったのですね。

 先日、吉祥寺のスタジオNOAHの一室を借りて、5年ぶりのバンドセッションでした。「鴉」、メインのリフとコード進行は当時のバンドのギタリストの南聖二君が作ったのですが、サイドギターだった僕は、そのコードに合わせて当時の学生アパートで作詞をして歌のメロディをつけました。21歳のころでしたね。当時は詩や文学には縁の薄かった当方、この「鴉」が生まれて初めて書いた詩、というか詞であります(笑)。なにはともあれ、今回はリードヴォーカル兼ベーシストとして「鴉」に挑みます。現在のバンドのギタリストは、仏文学者の星埜守之さんですが、今回はゲストギタリストとして若い村西貴之君が愛器のレスポールを抱えて参加してくれました。ではリハーサル風景です。

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 お別れの引用句、森堯茂さんとも親しかった洲之内徹の言葉です。

「体質的には、森さんは抒情的な芸術家なのだと私は思う。非情な鉄やコンクリートを駆使した作品が、いつも繊細でリリックな、人間的な情感をたたえている。森さんの仕事の魅力がそこにある。」

            (洲之内 徹 「逆説的な抒情」)

この記事へのコメント

河野久和
2020年03月03日 22:05
河野久和
2020年03月03日 23:29
掲載ありがとうございます。
接写されたスナップ写真のカットバック効果が、あの雨の夜の「くるきちの会」を語っている気がします。
また、久万美術館作品展は簡潔にまとめられ、さすが林先生と感服いたしました。
どうもありがとうございました。