吉野は天河大弁才天社を訪ねます+国立国際美では「やなぎみわ」展+湯川温泉「ゆかし潟」


 石塊(いしくれ)の のりし鳥居や 法師蝉    (芝 不器男)

 まさに夏の終わりの故郷の情景を詠んだ句でしょう。夏に田舎に帰省して、昔遊んだ神社あたりを散歩していると、よく馴染んだ鳥居のうえには、たくさんの小石が積み上げられているのに気づきます。神社の森では鳴き声が「つくつく法師」と聴こえるあの法師蝉が鳴きだしました。もう今年の夏もおしまいだな、と実感した、というのが句境でしょう。

 さて、この不器男の句同様に、小生も郷里である紀州・和歌山にしばらく帰省をしていました。一日、国道24号線を車で東に、紀ノ川を遡る具合に奈良県内に入ります。桜で知られる吉野の里に行く道を手前で折れて、近鉄吉野線の「下市口」駅からぐっと南に進路をとります。するとそこは天川村。修行道場でもある霊峰・大峰山を控えて、その村には天河大弁才天社があります。ここは、パワースポットというのか、スピリチュアルスポットというのか、高い霊力が発散される場所としても知られていて、宗教学者の鎌田東二氏の新刊『霊地感覚』(読んでいません)でも詳しく触れられているとか。ま、一般的には内田康夫という作家の『天河伝説殺人事件』(読んでいません)というベストセラーで有名なのでしょうが、芸能に関わるひとたちの信仰も篤いので、歌舞伎役者や芸能タレントなどもよく参拝するそうです。本殿の手前の前庭にかかる太鼓橋は、とりわけ霊が通い易い?スポットだというので、そのうえで小生も両手を広げてみますが、特になにもありません(笑)。本殿に上ると、そこは能舞台などもしつらえられていて、なるほど芸事を奉納するための場なのでしょう。この神社のシンボルでもある大きな五つの鈴が下がっています。拍手(かしわで)を打ってお参りをしました。

 本殿を降りる際に、小さな社が並ぶ小石を敷き詰めた場に立つと、ひとつ変わったかたちの大きめの石が周囲を囲われて置かれています。これが霊岩なのだそうです。薦められるままに、多分何事もないだろうとその石に両手をかざしました。すると、どうしたことか、てのひらにビビッと電気的な刺激を受けます。どうも僕は鈍感なほうなので、チクチクするなあという程度ですが、一緒に手をかざしたほかの参拝者らには「手が熱くなってきた」というひともいて、確かに特別な磁力かなにかを放射しているのでしょう。ここしばらくずっと「霊性」の問題が気になり、ぼんやりと考えてきているわけですが、こうやってあからさまに物理的に感覚に作用するものがある、ということで、どうも「霊性」とはなにか、ますますわけがわからなくなりそうです(笑)。その後に、大峰修行をするひとたちが「山入り」前に参詣する龍泉寺や、また水を祀った神社である丹生川上神社下社など、古い歴史が刻まれた信仰スポットを巡っておりました。

 さて同じ関西地方でも、吉野の山から下って、大阪の繁華な市街に出てみましょう。中之島には住友系の主要なビルをはじめ大阪を代表する枢軸の建物が並びますが、ここには国立国際美術館が万博広場から移転してきてもう何年でしょうか。いつも企画展の招待を頂戴してますが、東京にいる身はなかなか普段は行けないため、帰省した折には努めて覗いています。現在のメイン企画はルーブル美術館展ですが、こちらの招待券は老母らにあげることにして、おっとナイショです(笑)、小企画である「慶応義塾をめぐる芸術家たち」展と「やなぎみわ」展を鑑賞してきました。前者は、西脇順三郎・瀧口修造・飯田善国さんの交友をひとまとめにしたコーナーに、「ノグチルーム」をコラボレートした建築家の谷口吉郎とイサム・ノグチのコーナー、それに慶応の普通部出身だった版画家の駒井哲郎のコーナーと、まあジミながらリーズナブルな構成です。ただ、ルーブル展からの流れの一般客には、いっこうにピンと来ない展示だったのでは。後者のほうは、一般のお客にもピンと来易いものがあったでしょうね(笑)。「やなぎみわ」展、例の老婆メークで様々なシチュエーションの老婆の人生を現前させて、そこに現在の老いと死と生の問題を問いかけるというやなぎみわさんの方法、まあ凝りに凝った演出で細部のこだわりも入念、センスもなかなかのものです。今回の展示にはかなりのリキが入っていますね。うーん。しかし全部を見終わって、残念ながら、どうしても僕はこのアーティストの世界を好きになれないな、と実感します。たとえばヨーゼフ・ボイスだってずいぶんと文明批判的な挑発的な作風を展開しましたが、いわば美術の霊魂がそこには宿っていました。ところが、やなぎ作品にはタマシイがないぞ(笑)。独断ですが、そう断じてしまいたいです。女性アーティストということでは、先日観た鴻池朋子さんのほうには、タマシイを感じたのですがね。

 今回の紀州への帰省では、実家を離れて、四日間、南紀は勝浦の隣にある湯川温泉という鄙びた湯の里にこもってきました。折口信夫に言わせれば、「湯川」とは「齋」(ゆ)川、つまり聖なる清めのための場を表わすわけでしょうね。ここはほんの何軒かの温泉宿があるだけの静かなところですが、近くの新宮出身の作家・佐藤春夫が「ゆかし潟」と命名した大きな入り江の風情が実に好もしいのです。春夫はこんな短歌を残します。「なかなかに名告ざるこそゆかしけれ、ゆかし潟とも呼ばば呼ばまし」。「ゆかし」つまり「なんとなくなつかしく心がひかれる」という言葉がピッタリの入り江の佇まいです。ここの脇を国道42号線が通ります。昨年の春、ここを車で通過した時に僕もこの入り江の眺めに深く心惹かれて、そしてちょっと調べてみたのです。すると偶々、吉増剛造さんもこの温泉に泊って原稿を書かれたことがあるというので、その真似をしたく思ったのですね(笑)。しかし当方はどうも原稿書きに集中できません。それよりも朝夕は、「ゆかし潟」の景色に誘われて、その入り江の周囲をめぐる熊野古道(大辺路)を散策して古い墓や塚を見つけたり小さな祠にお参りをしたりして飽きませんね。僕にはどうやら吉野の天河神社よりもこちらのほうが霊性を強く感じるパワースポットだったのかも(笑)。

 佐藤春夫は、最晩年には東京は関口にあった自邸を離れて、この「ゆかし潟」のそばに別荘を設けてそこで暮らそうという希望があったそうです。ところが周知のように昭和39年72歳の時、ラジオの録音中に急死するという最期を迎え、その夢は果たされなかったのですね。今回滞在して「ゆかし潟」の表情を眺めていると、とりわけ夕刻です、薄暮が迫って、入り江を囲む原生林の山のシルエットが夕もやに包まれ、西の空に夕陽が薄く朱色に雲を描く情景を見てますと、ああ、これは極楽浄土のような世界なのだなと思われてきます。そう、春夫には法然上人を尊敬する念が篤く、『掬水譚』という法然の伝記小説なども書いていますから、浄土宗的な世界には親炙していたはず。そうか、それでこの地で臨終を迎えたかったのだな、と理解できたように思います。なんでも臨川書店版の春夫全集のなかには「詩境湯川温泉」というエッセイも収められているそうですから、これは読んで、当方のその推理を確かめてみましょう。まさに「詩境」ゆかし潟のほとりでの夏休みでした。

 さて、久しぶりに家に戻りますと、わが家の飼い猫二匹は、「おお、お父さん、戻ったか」と、あんまり愛想はないですが(笑)、知らないオジサンが来たと逃げるような素振りは見せないのでひと安心です。春夫の親友だった堀口大学の訳で、こんな短詩を引きましょう。

「火、見事な金魚が、
 閉じた猫を眠らせた。
 万一僕が不注意から、動いたりしたら、
 猫は化けも出来るわけ。

 古塔の糸車を
 停めてはならない、
 なぜかって、姫君に化けるくらいは
 朝飯前のことだから。」
                            (ジャン・コクトー 「猫」  詩集『用語集』 (堀口大学・訳))
 

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