新潟紀行(後半)、上原木呂氏宅から砂丘館へ、会津八一の書など
姿見に 映る楓の 夕日かな (井月)
信州の伊那谷を放浪して「乞食井月(せいげつ)」とも呼ばれたこの俳人ですが、その句にはどこか品のあるのが魅力です。大正年間に出た句集には芥川龍之介が跋文を寄せたほどです。鏡に夕映えのカエデの紅葉が映るのをピタリととらえました。
さて先日の越後紀行、良寛の五合庵を訪ねたところまでレポートしましたので、今日はその続きを。東道主人役を進んで引き受けくださった俳誌「白茅(はくぼう)」を発行される俳人・坂内文應さん運転の車が次に向かったのは、新潟市の西の竹野町です。旧名は巻というところですね。ここに鶴亀酒造という古い造り酒屋さんがあるのですが、その現在のご当主・上原誠一郎さん宅を訪ねました。上原さんは1948年のお生まれとのことですが、東京芸大生だったころ、瀧口修造の知遇を得られて親しい交友があったよし、当時創刊された「マリオネット」というリトルマガジンには、瀧口の紹介で種村季弘さんや笠井叡さんらも寄稿したそうです。
その後、上原さんはイタリアに渡られて15年ほどを彼の地で過ごしますが、映画や演劇の世界にコミットされて、人形師や俳優として活動され、チネチッタではあのF・フェリーニ監督の薫陶を受けたよしです。帰国後の現在は、上原木呂の名前で、オブジェ作家・美術家として作品制作を続けてられます。2011年には東京で、「ヤン・シュヴァンクマイエル、マックス・エルンスト、上原木呂」展を開かれました。コラージュの方法をベースに、「魔術」と「錬金術」をテーマとしたこの展覧会のポスターと、チェコのシュルレアリスト・シュヴァンクマイエルと上原さんとの2Sをどうぞ。
さて、明治期に建てられたという造り酒屋のお屋敷に案内いただき、お話をうかがいます。いやここは、先ほど訪ねていた柏崎のドナルド・キーン・センターの当の主人公?であるキーンさんとのご縁のあるおうちなのですね。というのは、上原さんの弟さんの誠己さんは、越後角太夫という名で義太夫節の三味線の弾き手として活躍されていますが、日本人に帰化したキーンさんの養子となられたよし、その関係で膨大な量のキーンさんの資料類の整理なども手伝われて、さらにはキーンさんも時々こちらにお見えだそうです。それは責任重大、でしょうね。
また上原さんは若いころは唐十郎さんの状況劇場に参加されていたよし、当時からの親しい友人の四谷シモンさんの先日の新潟でのショーにも協力されたとか。ほほう、四谷シモンといえば球体関節人形ですが、上原さんの人形愛も年季の入ったもののようですね。小生の友人の人形作家らのことなどもお話して盛り上がりました。しかし、そのご様子や振る舞いには、越後の旧家の子弟らしい品位があって、裸踊りなどの過激なパフォーマンスをなさるかたとは想像もつきません(笑)。では以下に、上原木呂さんの妖怪オブジェやその作品などを紹介しましょう。
お部屋の棚には、上原さんがかつてよく訪ねられた西落合の書斎での瀧口修造夫妻のスナップや、マルセル・デュシャンのポルトレが飾られていました。しかし、次の約束がありました、そろそろ失礼しなくてはなりません。お宅の前で上原さんと2Sの記念撮影です。
新潟の市内を西浦区からずっと東へ、中心部へと向かいます。この夜にお会いしたのは、この新潟では砂丘館の館長さんを務め、ギャラリー新潟絵屋の運営を担当する美術評論家の大倉宏さんと、「白茅」の表紙絵をずっと描いている画家の蓮池ももさんでした。表紙絵、とてもチャーミングなので小生もファンの蓮池ももさんとはこの日が初対面でしたが、大倉さんとは、あれは4年前でしたか、四国の久万美術館であった吉田淳治さん展のオープニングでお目にかかって以来ですね。市内のシャレた中華のお店で懇親会です。では、坂内文應さん・里美さんご夫妻と5人で記念撮影です。
この夜は市内のホテルに泊まって、さあ翌朝もよく晴れました。まず9時から開いている砂丘館を訪ねましょう。この砂丘館、その名の通り、日本海の海岸にそったなだらかな砂丘のうえの一画に建てられた、旧日本銀行新潟支店長宅をそのまま新潟市が引き取り、現在は「芸術・文化施設」の名称のもとに運営されています。しかし、昭和8年に建設された木造二階建ての日本家屋はなんとも典雅な造りでお庭も立派、なかなか魅力的な建築物ですよ。新潟市、太っ腹で感心したのは、ここといい、ご近所にある元市長邸という、地元出身の作家・坂口安吾を記念する「安吾 風の館」といい、入場無料である、というところでした。当然こうした施設の管理運営には費用がかかりますが、それはちゃんと税金でまかなうというのでしょう。立派な見識です。さて砂丘館、ご案内します。
この室内の座敷や蔵のスペースを用いて美術作品の展示が行われていますが、目下の企画展は、自画像を描き続けたユニークな画家の児玉晃展です。また砂丘館では、こちらは当然料金がかかりますが(笑)、喫茶部のサービスもあります。居間のソファで寛いで、朝のコーヒーでした。
しかし、この砂丘館のある一帯は閑静な住宅地区でもあります。町名は西大畑町というのでしょうか、奈良でなら志賀直哉邸のある高畑、京都なら嵯峨野あたり、松山でいえば南持田町あたり、の住宅街の佇まいに通じます。お天気がよいのを幸い、「安吾 風の館」をはじめ界隈を散策しましたが、実に平和な時間でした。そうそう、ちょっと離れた新潟市美術館を覗くと、ちょうど加茂市出身の写真家で夭折した牛腸茂雄展をやっていましたね。8ミリ作品の上映をしばらく鑑賞しました。(スナップを撮ります。)また大倉さんの運営するギャラリー絵屋も訪ねました。古民家を改装した作りです。
今回の新潟紀行、もうひとつの狙いは、歌人で書家だった会津八一の足跡を追うことでもありました。やはり西大畑町にある八一が晩年を過ごした邸で、いまは「北方文化博物館新潟分館」を兼ねるお屋敷を訪ねます。「会津八一終焉の地」という案内も出ています。庭や茶室なども見学です。
この夏に、それまであった砂丘館の近くから、八一記念館は市内の中心地に移転してしまいました。現在は「新潟新報メディアシップ」という高層ビルのフロアです。うーん、これは八一の晩年に地元紙である「新潟日報」社の幹部を兼ねた関係からでしょうが、ビルのフロアに閉じ込めるのは野暮というものですね。感心しません。しかしまあ、良寛の発見者でもあったという八一の書、ゆっくり見ておきましょう。
今日のお別れの引用句は、うえに引いた最後の八一の書を紹介しましょう。友人の写真家の萱原里砂さんの名前は(その「里」の字は、ということでしょうが)八一のこの短歌に由来するとも聞きました。
「斑鳩(いかるが)の 里のおとめは よもすがら きぬはた織れり 秋近みかも」
(会津 八一 『鹿鳴集』)
信州の伊那谷を放浪して「乞食井月(せいげつ)」とも呼ばれたこの俳人ですが、その句にはどこか品のあるのが魅力です。大正年間に出た句集には芥川龍之介が跋文を寄せたほどです。鏡に夕映えのカエデの紅葉が映るのをピタリととらえました。
さて先日の越後紀行、良寛の五合庵を訪ねたところまでレポートしましたので、今日はその続きを。東道主人役を進んで引き受けくださった俳誌「白茅(はくぼう)」を発行される俳人・坂内文應さん運転の車が次に向かったのは、新潟市の西の竹野町です。旧名は巻というところですね。ここに鶴亀酒造という古い造り酒屋さんがあるのですが、その現在のご当主・上原誠一郎さん宅を訪ねました。上原さんは1948年のお生まれとのことですが、東京芸大生だったころ、瀧口修造の知遇を得られて親しい交友があったよし、当時創刊された「マリオネット」というリトルマガジンには、瀧口の紹介で種村季弘さんや笠井叡さんらも寄稿したそうです。
その後、上原さんはイタリアに渡られて15年ほどを彼の地で過ごしますが、映画や演劇の世界にコミットされて、人形師や俳優として活動され、チネチッタではあのF・フェリーニ監督の薫陶を受けたよしです。帰国後の現在は、上原木呂の名前で、オブジェ作家・美術家として作品制作を続けてられます。2011年には東京で、「ヤン・シュヴァンクマイエル、マックス・エルンスト、上原木呂」展を開かれました。コラージュの方法をベースに、「魔術」と「錬金術」をテーマとしたこの展覧会のポスターと、チェコのシュルレアリスト・シュヴァンクマイエルと上原さんとの2Sをどうぞ。
さて、明治期に建てられたという造り酒屋のお屋敷に案内いただき、お話をうかがいます。いやここは、先ほど訪ねていた柏崎のドナルド・キーン・センターの当の主人公?であるキーンさんとのご縁のあるおうちなのですね。というのは、上原さんの弟さんの誠己さんは、越後角太夫という名で義太夫節の三味線の弾き手として活躍されていますが、日本人に帰化したキーンさんの養子となられたよし、その関係で膨大な量のキーンさんの資料類の整理なども手伝われて、さらにはキーンさんも時々こちらにお見えだそうです。それは責任重大、でしょうね。
また上原さんは若いころは唐十郎さんの状況劇場に参加されていたよし、当時からの親しい友人の四谷シモンさんの先日の新潟でのショーにも協力されたとか。ほほう、四谷シモンといえば球体関節人形ですが、上原さんの人形愛も年季の入ったもののようですね。小生の友人の人形作家らのことなどもお話して盛り上がりました。しかし、そのご様子や振る舞いには、越後の旧家の子弟らしい品位があって、裸踊りなどの過激なパフォーマンスをなさるかたとは想像もつきません(笑)。では以下に、上原木呂さんの妖怪オブジェやその作品などを紹介しましょう。
お部屋の棚には、上原さんがかつてよく訪ねられた西落合の書斎での瀧口修造夫妻のスナップや、マルセル・デュシャンのポルトレが飾られていました。しかし、次の約束がありました、そろそろ失礼しなくてはなりません。お宅の前で上原さんと2Sの記念撮影です。
新潟の市内を西浦区からずっと東へ、中心部へと向かいます。この夜にお会いしたのは、この新潟では砂丘館の館長さんを務め、ギャラリー新潟絵屋の運営を担当する美術評論家の大倉宏さんと、「白茅」の表紙絵をずっと描いている画家の蓮池ももさんでした。表紙絵、とてもチャーミングなので小生もファンの蓮池ももさんとはこの日が初対面でしたが、大倉さんとは、あれは4年前でしたか、四国の久万美術館であった吉田淳治さん展のオープニングでお目にかかって以来ですね。市内のシャレた中華のお店で懇親会です。では、坂内文應さん・里美さんご夫妻と5人で記念撮影です。
この夜は市内のホテルに泊まって、さあ翌朝もよく晴れました。まず9時から開いている砂丘館を訪ねましょう。この砂丘館、その名の通り、日本海の海岸にそったなだらかな砂丘のうえの一画に建てられた、旧日本銀行新潟支店長宅をそのまま新潟市が引き取り、現在は「芸術・文化施設」の名称のもとに運営されています。しかし、昭和8年に建設された木造二階建ての日本家屋はなんとも典雅な造りでお庭も立派、なかなか魅力的な建築物ですよ。新潟市、太っ腹で感心したのは、ここといい、ご近所にある元市長邸という、地元出身の作家・坂口安吾を記念する「安吾 風の館」といい、入場無料である、というところでした。当然こうした施設の管理運営には費用がかかりますが、それはちゃんと税金でまかなうというのでしょう。立派な見識です。さて砂丘館、ご案内します。
この室内の座敷や蔵のスペースを用いて美術作品の展示が行われていますが、目下の企画展は、自画像を描き続けたユニークな画家の児玉晃展です。また砂丘館では、こちらは当然料金がかかりますが(笑)、喫茶部のサービスもあります。居間のソファで寛いで、朝のコーヒーでした。
しかし、この砂丘館のある一帯は閑静な住宅地区でもあります。町名は西大畑町というのでしょうか、奈良でなら志賀直哉邸のある高畑、京都なら嵯峨野あたり、松山でいえば南持田町あたり、の住宅街の佇まいに通じます。お天気がよいのを幸い、「安吾 風の館」をはじめ界隈を散策しましたが、実に平和な時間でした。そうそう、ちょっと離れた新潟市美術館を覗くと、ちょうど加茂市出身の写真家で夭折した牛腸茂雄展をやっていましたね。8ミリ作品の上映をしばらく鑑賞しました。(スナップを撮ります。)また大倉さんの運営するギャラリー絵屋も訪ねました。古民家を改装した作りです。
今回の新潟紀行、もうひとつの狙いは、歌人で書家だった会津八一の足跡を追うことでもありました。やはり西大畑町にある八一が晩年を過ごした邸で、いまは「北方文化博物館新潟分館」を兼ねるお屋敷を訪ねます。「会津八一終焉の地」という案内も出ています。庭や茶室なども見学です。
この夏に、それまであった砂丘館の近くから、八一記念館は市内の中心地に移転してしまいました。現在は「新潟新報メディアシップ」という高層ビルのフロアです。うーん、これは八一の晩年に地元紙である「新潟日報」社の幹部を兼ねた関係からでしょうが、ビルのフロアに閉じ込めるのは野暮というものですね。感心しません。しかしまあ、良寛の発見者でもあったという八一の書、ゆっくり見ておきましょう。
今日のお別れの引用句は、うえに引いた最後の八一の書を紹介しましょう。友人の写真家の萱原里砂さんの名前は(その「里」の字は、ということでしょうが)八一のこの短歌に由来するとも聞きました。
「斑鳩(いかるが)の 里のおとめは よもすがら きぬはた織れり 秋近みかも」
(会津 八一 『鹿鳴集』)























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