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葡萄食ふことのひとつも 夜の秋 (森 澄雄) 森澄雄氏といえば、加藤楸邨主宰の俳誌「寒雷」に拠った俳人で現役最長老のおひとりです。「こほるこほると白鳥の夜の声」というようなモダンな感覚のポエジーを575に刻みます。さてこの句、秋の夜半にブドウを食べる、それをこう詠みました。眼目は「ことのひとつも」という措辞にあり、では?恐らくこの自在な修辞力こそが森澄雄を一種の象徴派詩人に近づけています。 さて、先週末には仙台は東北大学にて日本近代文学会の秋季大会が開かれ、一泊で仙台の街を訪ねていました。幸い午後には秋の日差しがこぼれ出した仙台の街、宿舎にチェックインの後は、真っ先に「せんだいメディアテーク」を訪ねます。地下鉄を勾当台公園駅で降りて、定禅寺通りを歩きます。道幅が広くて街路樹がきれいなこの通り、なかなかいい感じ。さて「せんだいメディアテーク」smt、ここは建築家の伊東豊雄さんプロデュースによる図書館+ギャラリー+ホール+情報発信基地?+……。コンセプトは「メデイアを収める棚」というわけですが、まあ建物自体がひとつのアップルコンピュータ?なのでしょう(笑)。使いこなせれば色々と刺激的な情報の受信と発信が可能です。図書コーナーに現代アートの書籍満載なのがいいですね。ちゃんとナディッフの出店もあって、東京から通ってくるひともいる、というのもわかります。周囲にもシャレたギャラリーやお店が出来てるみたい。モダン都市仙台のシンボルでしょう。 おっと、しかしここに長居は禁物です。学会が二時から始まります。東北大のキャンパスまではお天気も良いのを幸い、てくてく歩きましょう。広瀬川に沿って行き、橋を渡れば川内地区。振り返ると仙台の街の景観が一望されますが、背の高いビルもそれなりに調和された印象です。会場到着は一時二十分。おやまだ少し空き時間あり。そこで東北大学の見学タイムです。まったく何の予備知識もなかったのですが、ふらり散歩でとっておきの場所を見つけるのはわが特技(笑)。ふらふら行くと、「三太郎の小径」の看板あり。おや、これ、哲学者阿部次郎ゆかりの散歩道でしょうね。東北大の哲学の先生だった阿部の『三太郎の日記』は旧制高校生らの青春の書。そこでこの命名でしょう。弓道場の脇を入って、落ち葉が積もる小道が続きます。あー、いい感じ。木漏れ日もきれいです。きっとここを、阿部次郎のみならず、戦前の東北大学は木下杢太郎や村岡典嗣といった錚々たる知性が集ったわけですから、諸先生らも思索に耽りながら歩いたことでしょう。仙台版「哲学の道」、こりゃあ新名所!ですよ。 近代文学会、いよいよ始まります。三名の研究発表がありましたが、特筆すべきはトップバッターの権田浩美さんの「富永太郎とモダニズム」。近代詩研究者としての権田さんはよく存じ上げていますし、今回のご発表もおおいに注目すべきものという前評判は聴いていたので期待してました。さてかつては二高生として仙台にも住みご当地と縁のある富永太郎、どんな切り口でアプローチされるかと発表に耳を傾けます。いや、正直これは驚きました。権田さん、神奈川近代文学館と中原中也記念館の新資料を踏査されて、これまでひとつの通念としてあった端正な「象徴詩人」富永、という詩人イメージに大幅な修正を迫る「新発見」を報告されます。太郎の親友だった正岡忠三郎に宛てた書簡や忠三郎の日記(ちなみに忠三郎はあの正岡子規の著作権継承者)、それに太郎自筆の詩稿やスクラップブックなど、こんな一級史料がまだ手つかずだったとは、しかし意外です。富永太郎研究としてはあの大岡昇平氏の名著『富永太郎―書簡を通して見た生涯と作品』がいわばバイブルとして君臨し、太郎神話は揺るぎないもののように感じていたのですね、われわれも。 権田さんが注目するのは、太郎が大正末年の高感度のモダンボーイとして、当時最先端の美術や未来派をはじめ、あのディアギレフのロシアバレエ団やアンナ・パブロアなど舞踊の世界にも多大な関心を払い、マメに見物に赴いているところ。それに大岡氏の本ではほとんど言及されないのですが、歌舞伎の舞台を熱心に観ているのですね。(こんなところはまさに大岡氏が意図して省いた項目でしょう。サンボリストと歌舞伎とではどうも取り合わせが良くないでしょうから。)つまり、富永における肉体、あるいはカオチックなもの、プリミティヴなものへの強い関心という問題。うーん、そうかあ、と得心します。こうした側面はむろんいくらかの痕跡はあったわけですが、なんというのでしょう、全景には出てこないままなのでした。今回の発表はそこを大きく軌道修正を迫るもの。それに権田さんのなかでの太郎作品に対するヴィジョンも明確です。太郎の詩のなかにはプリミティヴなもの、生理的なものに執着する傾向もあって、そこを権田さんは確か「母親の胎内」あるいは子宮世界との関連として指摘されました。まったく同感ですね。すばらしい発表でした。大岡昇平氏、もしこの発表を聴かれたらどんな感想を持ったでしょう(笑)。 発表後の質疑応答の際にはただただ感心して、「たいへんベンキョウになりました」とか、頼りない感想しか口にできず、もっと的確な援護射撃をするべきだったと反省でしたが、ともあれ、この成果が活字化されるのを切望いたします。うーん、富永太郎論、僕も書いてみたくなりましたが、それはこの成果によく学んでからとしましょう。 翌日、学会二日目のほうはちょいとパスをして、仙台駅のウラからいわゆる寺町となる界隈を訪ねました。連坊小路にある瑞雲寺、ここがお目当てです。この寺に大正14年4月、俳人の芝不器男が二高の学生として下宿し、翌年にはあの名句「あなたなる夜雨の葛のあなたかな」をここで得ます。それを記念して今は境内にこの句碑も建っていますね。瑞雲寺、しかし現在は大規模な改修工事のさなか。なんでも来るべき?宮城沖大地震に備えての改修が市内各地で行なわれているよし、これもその一環でしょうか。まあ境内、風情もへったくれもございません(笑)。さてしかし、ここに立って思いを馳せるべきは、ひとり不器男の世界のみではありません。つい昨日の発表を聴いてコーフンさめやらぬその富永太郎ですが、実は太郎もまったく偶然にもこの寺に大正10年ころ下宿しました。ははは、これだから文学史?はオモシロイ。以前に書いた芝不器男論では、この偶然に言及して、数年違いのニアミスで遭遇しなかったふたりのサンボリストの架空の遭遇場面なんぞを綴ってしまい、掲載誌の編集長氏からは、「まるで小説ですね」という感想まで頂戴しましたが、ともあれここは仙台でも大事な文学トポスのひとつ。ぜひ訪ねたかった場所でした。 その後、界隈の寺町の落ち着いた佇まいを鑑賞しつつ、ゆっくり駅までの道を歩きます。このあたりは戦災を免れたということですから、太郎も不器男もこうした風景を眺めたのでしょうか。と、目の前に緑の深い一画が現れます。おや、ここはなんでしょう。わが散策時の鋭敏な?嗅覚が、ここ、要チェック、というサインを出します。脇の広場から入っていくと、なんだ、ここもお寺です。しかしなんだか雰囲気がモダンな庭園っぽい。本堂の構えなんぞも風格があって。若い僧服のお坊さんが境内で参拝の女性と立話し。当方に気付いて礼儀正しく会釈されます。「どうぞご自由にご覧ください」という感じです。ちょっと回ってみると品のいい墓石群があります。ここには看板があって、「刀工・本郷国包墓所」と示されます。伊達家に仕えた刀工の名匠、初代から13代のお墓だそうですね。さすが、伊達の歴史と伝統です。ここには線香の香りが流れ、あれ、さきほどの女性はこの墓所にお花を供えにみえていたようです。境内、緑があふれ感じがよい。近所ならきっとしょっちゅう散歩に来るでしょう。帰りは山門から。しっかりお寺の名前をチェックしましょう。「善導寺」とありました。「三太郎の小径」、そしてこの「善導寺」。仙台に隠れ名所あり、です。 さあ引用句。富永太郎関連の言葉を引きましょう。太郎神話をこしらえたのはなにも大岡昇平氏ひとりの業績?とは限らなかったでしょう。太郎自身からはいささか辟易、敬遠された存在であった中原中也はこんな文章を残します。 「さしづめ、彼は教養ある「姉さん」なのだが、しかしそれにしては、ほんの少しながら物質観味の混ざった、自我がのぞくのが邪魔になる。/友人の目にも、俗人の目にも、ともに大人しい人といふ印象を与へて、富永は逝った。そしてそれが、全てを語るやうだ。」 (中原 中也 「夭折した富永」) |
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メディアテークは外被としての意匠という建築の因習から徹底的に離反したという点で20世紀における一つのエポックをなす建築だと思いますが、同時に、むき出しの構造を美として投げかける日本の建築として考えると、懸崖造りを思い出させますね。 |
熊鷹@ゆらくらす 2008/10/31 00:48 |
「熊鷹」さま。建築・俳句・バレエ関連についての、いつもながらの的確且つ細緻なコメントを嬉しく存じます。伊東豊雄氏の「せんだいメディアテーク」、「懸崖造り」を連想される、とは目からウロコです。また澄雄句、なるほど生成過程では、「夜の秋」の語感?が母胎かもしれませんね。そしてディアギレフ率いる、あのニジンスキーがまさに時代の寵児だったロシア舞踊団、ご指摘の通りでしょう。富永太郎はまさに、われわれが現在ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団にイカレルようにロシア舞踊団にイカレタ?のでしょう(笑)。 |
ミニヨン 2008/10/31 08:27 |
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