林浩平の《饒舌三昧》

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zoom RSS 那覇で発見の名所は首里の金城町の石畳と壺屋焼物博物館です

<<   作成日時 : 2018/05/03 01:26   >>

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 第一銀行 夜は手相見の 春灯(とも)し     (三好 達治)

 詩人の三好達治はなかなか趣きのある句を残しています。現在はみずほ銀行ですが、いくつかの合併の前には第一銀行がありました。その支店の石畳?に夜ともなれば手相見が出て、客をとるわけです。空気もぬるむ春、商売も繁盛なのでしょう(笑)。

 さて、二泊三日の沖縄への旅、県立博物館・美術館での「詩人吉増剛造・涯テノ詩聲」展を鑑賞した後は、那覇の街の市内観光です。とにかく那覇へは二度目ですが、前回は2000年の夏でしたね、吉増さんの二重露光写真をテーマにしたNHKのテレビ番組「アーティストたちの挑戦」の演出を僕が引き受けたので、沖縄でロケを行ないました。宮古島や西表島でのロケが中心でしたが、本島では嘉手納基地と那覇の国際通りの裏も撮影しました。ただ、番組ロケの際は、ADさんが旅や移動の手配を全部してくれたため、街のことは深く勉強しないまま。さあどこを訪ねましょうか。

 今回ガイドブックをあれこれ物色した次第ですが、以前ならJTBなどが出していた本格的な旅案内の本が見当たりません。「ことりっぷ」シリーズも、店や名物案内ばかりの軽薄な編集、どうも憂うべき状況だなと、大型書店でじっくり探すと、実業之日本社の「ブルーガイド てくてく歩き」の「沖縄・那覇」篇が細かな情報とわかりやすい地図が出ていて嬉しいです。これをたよりに、さあ那覇市内を走るモノレール「ゆいレール」の終点の首里駅に来ました。

 まずは那覇随一の観光名所の首里城を訪ねます。4月というのに、陽射しは初夏のもの。サングラスは欠かせませんね。これをかけたまま、首里城に入るため、チケット売り場に立つと、売り子のおねえさん、電算機?に「880」と出してこちらに示します。880円の入場料ですが、どうやらこちらを日本語の出来ない中国人観光客と見てくれたようです(笑)。千円札を出すと、今度は「120」とお釣りの数が示されました(笑)。

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 14世紀から明治維新まで続いた琉球王国の歴史などをなかの展示で知ることが出来ますが、首里城自体は沖縄戦で徹底的に破壊されたため、1992年に復元されたもの。建物を見学しても、そうありがたくはありません。ここはざっと見て、ガイドブックに出ている「玉陵(たまうどぅん)」、歴代の琉球王国の王や王妃を葬った陵墓です、こちらに向かいます。堅牢な石作りの墓の内部に墓室があって、そこに遺骨を納めた「厨子甕(ジーシガーミ)」が並びます。この石作りの陵墓も、部分は復元されたものだそうですが、なかなか見応えがありますよ。しかし、首里城に比べると見学者はガタンと減って、数十名ほどでしたね。

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 うえに掲げた「厨子甕」の画像は、こちらのものではなく、翌日に訪ねた沖縄市(コザ)の郷土博物館で撮ったものです。当時の沖縄では、洗骨の風習があったので、ご先祖の遺骨はいったん海で?洗われてからここに納められたよし。

 さて、玉陵(たまうどぅん)を出て、次にはやはりガイドブックに出ている「金城町石畳道」というのを訪ねます。ちょうど首里城の広い駐車場の南に位置します。このあたり、観光客の姿がありません。そもそも、「石畳道」への道案内などは出てませんね。僕も入口がどこかわからず迷い、駐車場の関係者に尋ねました。おお、ここですか、細い坂道ですが、急こう配です。首里城自体が、かなりの高台に建っていますからね。ゆっくり下りましょう。

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 木漏れ陽の揺れる木蔭の坂道、というのがいいですね。木蔭が尽きたところに案内の看板がありました。この坂道はなんでも、「日本の道百選」のひとつに数えられるとか。ガイドブックには、「首里を訪ねたら是非寄ろう。苔むした石垣と赤瓦の民家を眺めつつ散策が楽しめる」とあります。さらに下に続く坂道がそんな感じです。しかし、観光客、他に誰ひとりいません。まあ眺望を独占できるのでラッキーではありますが、なんとも勿体ないですね。

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 この石畳道、300メートルほど続くのですが、使われた石は、琉球石灰岩で、16世紀に造られたよし。一部は戦争被害にあったため修復されたところもあるそうですが、沖縄独特の石の文化を感じますね。途中に、金城大樋川に造られた石の水汲み場があり、かつてはここで住民たちが生活用水を汲んだわけです。あるいはここは、御嶽(うたき)だったのかもしれません。帰路の上りではかなり苦労しましたが、ともあれ良いところを見つけました。

 さてまたいったん首里城の下の道を通って、ゆいレールの駅まで戻るのですが、県立芸術大学の裏に、龍潭池とそれにつながった円鑑池があって、そこに弁財天堂が建っていました。やはり戦争で破壊されたそうですが、石橋もお堂も優美な雰囲気で、ここも良かったですね。池に棲む水鳥たち、強い陽射しを避けて、池のへりの木蔭で休んでいます。

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 さてこの日は、街中に戻り、ホテルでシャワーを浴びて着替えをしてから、県庁前の繁華街に出直して、皆さんとの懇親会でした。その様子は前回にちょっと触れました。そして続いては、翌日の壺屋焼との出会いについてレポートしましょう。

 那覇のメインストリートの国際通りからアーケード商店街の平和通りを進んで、左折すると、ゆるやかなカーブの道がずっとひめゆり通りにまで続いています。これが、焼物のお店が並ぶ「やちむん通り」です。焼物(やきもの)が、沖縄の言葉では「やちむん」となるのです。なんだかのんびりした音韻に変わっているのが、沖縄の風土の反映でしょうか、おもしろいです。その入口に、那覇市立の壺屋焼物博物館があります。ここを見学しましょう。入館料350円を払って入ります。

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 昔はこのあたりは壺屋(つぼや)と呼ばれて、窯元がいくつもあったそうです。沖縄の焼物の歴史を振り返ると、中国や日本からの製陶技術の伝播に加えて、朝鮮から来た陶工が残した影響も大きいとのこと。なるほど、東アジアの多元的な文化を受容してきた沖縄らしさがここにもあるようですね。

 壺屋焼には、釉薬をかけない荒焼(アラヤチ)と、釉薬をかける上焼(ジョーヤチ)の二種類があります。まず荒焼です。

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 素朴な焼肌がなかなか味わい深いですが、この荒焼は近代に入ってからは工業用の製品にも転用されて、また頑丈ですから、大いに需要が高まった時期もあったそうです。

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 こちらは上焼、なかなか繊細な感じで、モダンな風情が出ています。展示された作品、気に入ったものが多いですね。またロビーでは、壺屋焼を主題にしたドキュメンタリー映像が20分上映されてましたが、現在活躍する名工たちの語りは、時に哲学的でもあって、興味深かったです。いや、番組としても構成演出がよく出来ているなあと感心。

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 この博物館の建つ場所には、かつて窯元があったよし。建設中に発掘された昔の窯の痕の地層がそのまま展示されています。なるほど壺屋焼、沖縄文化の伝統を代表するものですね。

柳宗悦たちの「民芸」運動も、この壺屋焼を評価して、揃って沖縄を訪れて滞在、濱田庄司やバーナード・リーチはここで技法を学んで、壺屋焼の作品を残しています。さても近代の名人たちの作品を紹介しましょう。沖縄各地の家々で目にする魔除け怪獣?のシーサーも焼いています。

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 博物館の3階は広いテラスになったところがあり、出てみると、そこには祠があります。壺屋焼の守り神を祀っているのですね。いや、この博物館、佳いところですよ。お薦めです。ところがここも、首里の石畳と同様、訪問する人がえらく少ないのですね。僕が見学していた時間に入館したのは、三組ほどでした。これじゃあ壺屋焼の神様も寂しがっているでしょう。

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 さて帰りの飛行機までの時間、やちむん通りのお店を覗いて、お土産に壺屋焼のシーサーなどを買いましょう。わが家にも一対、購入しました。帰宅して、さっそく玄関口のスペースに置いて、わが家の魔除けとなってもらいます。森堯茂先生の鉄のオブジェや秋山祐徳太子さんのブリキの彫刻、それに詩集『銘度利加』の詩人の十田撓子さんから頂戴した、ガラス製の晴雨計と一緒に並べました。

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 お別れの引用句、折口信夫=釈迢空が戦後に、苛烈な戦場となって多くの不幸な死者を生んだ沖縄の地と人々を思って詠んだ短歌を引いて、今回のわが沖縄の旅の締めとしましょう。

「沖縄を思ふさびしさ。白波の残波(ザンパ)の岸の まざまざと見ゆ」

                      (釈 迢空  「那覇びと」連作  歌集『倭をぐな』より)

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