林浩平の《饒舌三昧》

アクセスカウンタ

zoom RSS 京博では池大雅展、これはもう見応え充分でした(画像を追加)+吉増剛造さん、『火ノ刺繍』が届きます

<<   作成日時 : 2018/05/21 13:18   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
 黒揚羽 わたる十字路 ながきかな      (安東 次男)

 あんつぐ、こと、安東次男の初期の句にこれがあります。十字路を飛んでゆく、生まれたての?クロアゲハを見守る作者もまた若いです。そんな瑞々しさを感じさせる作ですね。

 午前の新幹線「のぞみ」に乗って京都に来ました。京都国立博物館を久しぶりに訪ねます。85年ぶりという、池大雅の回顧展を開催しています(5月20日まででした)。
画像


 展示会場は、クラシックな近代建築の本館ではなく、新しく出来た平成知新館です。順路はまず3階フロアからでした。

画像


 大雅の弟子だった福原五岳という絵師の描いた晩年の大雅像です。池大雅(いけのたいが)(1723〜76)は、祇園南海に始まる日本の南画の大成者とされて、また書家としても江戸中期の京の文化圏ではよく知られた存在でした。

 特に書においては、早熟の才能を発揮して、7歳から稽古を始めてなんと12歳で書いたという楷書の「独楽園之記」が展示されてましたが、これがすごい。ご覧ください。それから大雅といえば三味線が趣味、当時は三弦と称されてましたか、蛇皮のものでそれも展示されていました。

画像

画像


さて、大雅の人となりについて、伴蒿蹊(ばんこうけい)が著した随筆『近世畸人伝』は、こんなふうに述べています。

「人と交りて謙損し、しかもおもねらず。礼法に簡にして(略)、是を義にかへりみれば、いまだかつて失ふところあらず。恵みて望まず、廉にしてやぶらず、其の取予(しゅよ)得失において恬如(てんじょ)たり。」

 ふーん、万事に控えめで、細かな儀礼にはこだわらない、欲のない「いい人」だったようですね。そりゃあ友人も多かったでしょう。妻の玉瀾(ぎょくらん)も絵師でしたが、夫婦仲良く住んだのは、真葛が原と呼ばれた、現在は円山公園の音楽堂付近とか。弟子のひとりが描いた大雅堂の略図も出てましたが、緑が多くて陽当たりのよい場所だそうで、天気のいい日には、白砂を敷いた家の前で、紙を広げて絵筆をとったとか。のどかな暮らしぶりがうかがえます。

画像

画像


大雅が、人物画にも、竹など水墨画の典型的な画材を描くものにも優れていたのを確認ください。「張仲景像」と「竹石図」です。人物画には、高芙蓉(こうふよう)の賛が添えられています。高芙蓉は大雅の大親友で、篆刻家として名高い文人でした。だいたい絵には賛が添えられますが、そこで文人同士の友情が示されるわけでもありますね。

画像

画像

画像


三枚を紹介しましたが、上のは「売茶翁(ばいさおう)像」です。売茶翁、この人は18世紀の京都文化の中心人物といっていいでしょう。交友圏には、伊藤若冲やこの大雅、それに与謝蕪村らもいました。黄檗宗の僧侶だったのですが、老年に還俗、京の路上で煎茶を売るのでこの名前が付きました。この像も煎茶を売っている姿ですね。賛は翁自身です。
 それから「青柳蛙図」、こんなタッチの絵も描きました。賛は、狂歌師で僧侶だった拙堂如雲が狂歌を添えています。ユーモラスな、大津絵でおなじみの鬼を描いた「鬼神勧化図」、賛は、やはり売茶翁との交友でも知られる天台の学僧の金龍道人で、曾我蕭白も尊敬した僧侶だったとか。そうそう、大雅と蕭白も交流があったそうですね。

画像


「深林読書図」、これは、当時の文人画の主題のひとつです、高士が林のなかの庵で静かに書見する図ですが、この絵には「附桑山玉洲宛書簡」というので、紀州の文人画家だった年下の桑山玉洲宛の書簡が附属しています。二十三歳の年齢の違いがあるのですが、桑山玉洲は、知識人で画論も残しています。大雅を師と仰ぎました。「紀州の三大文人画家」というのは、祇園南海と野呂介石とこの桑山玉洲ですが、祇園南海は、大雅の師匠にあたるのですね。28歳の年に、紀州に晩年の祇園南海を訪ねて「士大夫の画」、つまり文人画についての教えを授かり、さらに大雅自身の指頭画、後に触れますが、筆でなく指で描く画法です、それを激賞された、というエピソードが残ります。もうひとりの野呂介石も大雅に師事していますから、大雅と紀州とのつながりも、けっこうあるのですね。郷里が紀州和歌山である小生には、いささか鼻が高い(笑)挿話です。

 そうそう、このブログではすでに、祇園南海と野呂介石の墓所は画像入りでレポートしましたが、桑山玉洲の墓は和歌山市内の和歌浦にあるそうですので、この夏の帰省の折に訪ねてきましょう。

画像


 大雅は、いわゆる文人画家としてのありようのお手本を中国から学び、「詩書画一致」や「去俗論」、「隠逸思想」、さらには「万巻の書を読み万里の道を行く」といったことも忠実に実践した、とは、図録の解説で京博の館長の佐々木丞平さんが書いてますが、明末清初の画家・李漁の発案した木版彩色画譜である『芥子(かいし)園画伝』をしばしば参照して勉強したようです。そして大雅はこの『芥子園画伝』を、柳沢淇園(きえん)すなわち柳里恭から貸してもらった、あるいは譲り受けたようですね。そう、祇園南海と並んで、柳里恭や、彭城(さかき)百川(ひゃくせん)といった著名な文人画家たちにも指導を受けたよしです。

画像

画像

画像


 とにかくそうして身に付けた画法で描いた名作です。順に、「竹梅双清図」、こちらは重要文化財ですが「前後赤壁図屏風」、そしてこれも重文の「高士訪隠図屏風」、以上です。

画像

画像


 大雅の書も、とても佳いですよ。はじめのは、大雅が相国寺の僧の大典に、自作の漢詩の添削を乞うた折の草稿だそうです。大雅は当然、漢詩もかなり作っていますよ。次のは、友人の木村蒹葭堂(けんかどう)に寄せた贈答詩です。書の良し悪しはよくわかりませんが、こうした楷書、僕は好きですがね。

 そして大雅といえば、指墨画ですね。筆を用いず、指先と爪との墨を付けた描いたものですが、これがまた名人芸でした。「指墨山水図」、続いて「寒山拾得図」、いずれも指墨画であることを明記しています。それに屏風の大作も素晴らしいです。

画像

画像

画像


 さあでは、池大雅のお宝作品を順に紹介してゆきましょう。


画像

画像


 これは、「楼閣山水図屏風」、六曲一双の紙本金地着色の作で、国宝です。今回初めて観ましたが、これは凄かった。佳いです。作家の石川淳が、それまでは西洋絵画一辺倒だったのが(彼の好きな画家はドガですからね)、昭和10年頃に現在の東博の表慶館でこの展示を観て衝撃を受けた、そんないわくつきの作でもあります。

画像


 こちらもまた見事です。「山水人物図襖」、図録の解説には「大雅晩年の最高傑作」とされてますが、やはり国宝。まさに神韻縹渺、ですね。

画像

画像


 そしてこちらが、かの川端康成旧蔵で知られる国宝の「十便図」。与謝蕪村の「十宜図」とペアで「十便十宜図」とされますが、いや、蕪村のほうはこちらと比べると、プロの前のアマチュアの領域、という印象ですね。いや、とにかく大雅展、次々と名作が現れて、これでもかこれでもか、でした(笑)。京博で、3時間近く鑑賞していましたが、疲れるどころか、エネルギーを注入された思いでした。

画像


 会場では、大雅が用いた落款や印章が紹介されていました。大雅関係は、とりあえず以上です。

画像

画像


 「放送大学」の特別講義に出た際のタイトルを「文人精神の系譜〜与謝蕪村から吉増剛造まで」としましたが、そこでも語ったように、吉増さんを現代の文人存在とみなすことが出来るのではないでしょうか。文人の概念は改革されました(笑)。

 吉増さんが刊行された文集『火ノ刺繍』、なんとなんと1221ページあります、「2008−2017」のサブタイトルが示すように、その期間に書かれたものや対談などでこれまで未収録だったのをすべて網羅した結果、ここまで巨大になりました。また吉原洋一さん撮影の「毎月22日」の吉増さんスナップ、というのも魅力的です。

 さあ、幸いなことに、本書を献呈署名入りで、拙宅に送っていただきました。「嬉しいな」です(笑)。札幌の響文社から、定価は5800円ですが、どうぞ皆さま、書店で一度手におとりください。このどっしりした重みが、「現在の《来るべき書物》」、そう、モーリス・ブランショを想起しました。帯の言葉を引きましょう。

「”とうとう間に合った……”
 「火ノ刺繍」は、
 詩人が母なる存在へ捧げる、
 ”愛の書物”である。」

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
京博では池大雅展、これはもう見応え充分でした(画像を追加)+吉増剛造さん、『火ノ刺繍』が届きます 林浩平の《饒舌三昧》/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる