信州の別所温泉を訪ねました+多摩ニュータウンを抜けて一本杉公園を散策、恵泉女学園大学とお別れです


 春風の 心を人に頒(わか)たばや      (高浜 虚子)

 これは佳い句です。穏やかにわたる春風の、そののどかさ、それをみんなに分けてあげたい、というのですね。哲学的難解句もしばしば詠んだ虚子ですが、時にはこんな具合に、飾り気も衒いもない、率直な思いを句にしました。

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 巷では新型コロナウイルスの問題が困ったことになっています。各種スポーツや音楽・演劇イベントの中止や開催延期、学校休校に卒業式の縮小や中止というところも。このブログで紹介しようと手ぐすね引いてました東京都美のハンマスホイ展も16日まで休館です。東博など国立系の館はさらに17日からも休館を続けるとか。都美、がんばれ、開けてくれ!です。美術鑑賞、大勢が集まっても黙って鑑賞すれば感染の危機はさほどないでしょう。どうしてすべて右へ倣えをするか!(おっと、昨日はここまで書きかけてましたが、いま都美のHPを確認すると、「閉幕」です。国からの自粛延長の要請に負けた格好。もともと26日まで、なのでした。あーあ、ハンマスホイ、観られなかった。)

 旅行の予定もキャンセルが相継ぐよし、当方も信州長野の別府温泉に一泊の旅行予定がありました。ウイルスごときに負けるか、旅に出ましょう。はじめにご覧いただきました八角三重塔、四重に見えますが一番下は「裳階(もこし)」といってカウントしないそうです、これは別所温泉に建つ古刹・安楽寺にあって、1952年に長野県で最初に国宝に指定されました。別所温泉、「信州の鎌倉」の異名があるくらい歴史的な建造物の多いところで東京からもそう遠くなりません。北陸新幹線を軽井沢のちょっと向こうの上田駅で降りて、ローカル線の上田電鉄に乗りましょう。ただし上田電鉄、昨年の台風19号禍で氾濫した千曲川にかかる鉄橋が壊れてしまい、復旧途中、最初のひと駅ぶんは代替バスでした。そこから電車に乗って、別所温泉駅の四つ手前の塩田町駅で下車します。このあたり塩田平(しおだだいら)と呼ばれるそうですが、南には独鈷(とっこ)山などの山の峰が連なり、北を向くと菅平高原に積もった雪が望めます。さすが信州。さあ南に向かって散策モデルコースを歩きましょう。ハイキング、スタートです。

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 山のけっこう急な坂道を登って、最初に訪ねたのが前山寺(ぜんざんじ)です。平安時代に弘法大師が開いたという言い伝えのある古い真言宗のお寺ですが、樹齢数百年という立派な欅並木の参道がなんともいい雰囲気です。左手に斜面となった草地が広がりますが、おや眼の前の建物、ここが信濃デッサン館でしたか、閉鎖されて間もない、よく知られた美術館ですね。へえ、こんなところにあったんだ。村山槐多など夭折した画家のデッサンを中心に展示した美術館で、東京からここを訪ねるために上田まで足を運んだ美術ファンも多かったでしょう。北陸新幹線が出来てずいぶん便利になったのに、閉鎖とは残念です。また姉妹館にあたる無言館、この日がちょうど火曜日だったので休館日でした。さあお寺の境内に入りましょう。おやおや、可憐な三重塔が建っています。

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 この三重塔、室町初期の建立のよし、屋根はこけら葺きです。簡素な感じがかえって好感が持てますね。まるで少女のような三重塔、なんでも「未完成の完成塔」という異名を持つそうです。石塔にも歴史の息吹があります。いやこのお寺、品があって佳いところですよ。前山寺、ぜひぜひお薦めです。

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 散策モデルコースをさらに歩き続けると、前山寺の数百メートル西のあたりに「塩田城跡」という表示を見つけました。塩田城、鎌倉幕府を動かした北条義政が隠退して居をかまえたところだそうです。戦国時代にはあの真田氏が支配して、のちに廃城となったとか。現在はひなびた山村ですが、この界隈、歴史的には重要な場所だったでしょう。

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 さらに山腹の道を西に500メートルほど歩いてゆくと、中禅寺というお寺がありました。平安末期の創建で、立派な茅葺きの薬師堂は、中部地方では現存最古の木造建築物であって国の重要文化財です。赤く塗られた金剛力士立像も平安末期の作だとか。いやあ大変なものです。

 さあお目当ての別所温泉にやってきました。この地の象徴と言ってもいいのが、最初にご紹介した安楽寺の八角三重塔。せっかくですから記念撮影を願いました。

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 安楽寺のそばには、平安初期にここ別所温泉を開いたとされる慈覚大師が創建した常楽寺があります。ここの本堂も立派な茅葺きですね。裏手の谷には国の重文に指定された石造多宝塔が建っています。苔むした石仏が雅趣があって、ここも立ち去りがたい場所でした。

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 もうひとつの観光スポットが北向(きたむき)観音です。厄除け観音として節分には大勢の参拝者で賑わうそうです。境内には「愛染かつら」で知られるカツラの巨木もあります。

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 別所温泉の町自体はそう広くはないので、あちこちを歩き回ります。すると山に行き当たろうとする道のところが崖になった、ちょっと不思議な一画に出くわしました。案内の看板には「薬師堂歌碑公園」とあります。ここは弘安年間といいますから、あの元寇のあった鎌倉初期ですね、そのころに薬師堂が創建されたよし、いまも小さなお堂が残ります。またなぜか与謝野晶子の歌碑や他にもいくつか文学碑が建つのですね。しめ縄が巻かれた巨木もあって、少し気味の悪い雰囲気もある、フシギ空間でした。

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 他にも「将軍塚」と称される古墳やら、真田幸村の隠しの湯という碑が立つ公衆浴場、それに宿泊した中松屋旅館、ここはサービスの行き届いた、センスのいい内装の佳い温泉宿でしたが、玄関わきに「野倉夫婦道祖神」のレプリカも見つけました。夫婦(めおと)道祖神、本物は山道を30分ほど登った野倉の里にあるそうです。

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 話題は変わります。多摩ニュータウンは、日本を代表するマンモス団地ですが、先日、京王多摩センター駅を出て、多摩ニュータウンの落合地区を通り抜けて、町田市に近い一本杉公園まで歩いてみました。というのも、一本杉公園の隣にある恵泉女学園大学、僕はここに最初の一年間を非常勤講師として、それから10年間を専任として週に三日間、定年後はさらに二年間を非常勤で通いました。それもこの三月いっぱいで終了、新年度からはご縁がなくなります。いつもは駅前からの学バスで8分乗ると大学キャンパスですが、初めて!歩いて大学に行くことにしたのです。大学に残してあった私物を引き取るためです。

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 多摩ニュータウン、当時の美濃部都知事の都政下で計画されて、1966年に事業計画が発表され、1971年から入居が開始されたよし。それにともない京王線と小田急線も延長になったそうです。ずっと使ってきた京王多摩センター駅も相模原線の延長で、1974年の10月にオープンしたというのですから、歳で言えば46歳、とまだ若いですね(笑)。(山手線の高輪ゲートウェイ駅がもうすぐオープンしますが。)

 さてニュータウンの落合地区を突っ切って、一本杉公園に到着です。30分かかりましたね。このそばを鎌倉古道も通りますが、一本杉公園通りも古い街道のよし。古くは万葉びとも歩き、近くは幕末の新選組の土方歳三も、山ひとつ越えたところの小野路宿にある名主の小島家に剣術を教えに通ったそうです。「古道の森」の札を見つけました。

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 さあ一本杉公園に入ってみましょう。立派な石柱が建っていますが、この門の左に恵泉女学園大学のキャンパスが広がります。公園には池もあり整然と整備されていて、付近の地図や解説も出ています。このあたりは多摩川方面から見ると山が横に連なるので「横山」と呼ばれてきました。「多摩の横山」を詠んだ万葉集の東歌もあります。

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 また園内には江戸時代の古民家が二軒保存されています。このあたりの大きな農家だったよし、中も見学でき、当時の暮らしぶりがわかるのですが、ちょうど新型コロナウイルスのことでいまは見学できません。うーん、ここに来たのは7、8年ぶりですが、古民家の屋根が金属製のものの葺き替えられていました。

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 公園から恵泉女学園大学のグラウンドや校舎が見えます。この芝ではなく雑草の生えた(笑)グラウンドでは、フットサルサークルのコーチとして週に一回、女子大生とサッカーボールを蹴りあったものでした。(大学の卒業アルバム用に部員らと撮った集合写真をお目にかけましょう。このグラウンドです。これは二年半前の夏ですね。)おや、グラウンドの端に工事関係者が何人もいて、建設資材が置かれています。グラウンドになにか新しい部室か何かを建設しようとしているみたいです。環境は変化しますね。何事も変わります。「さよなら、恵泉」です。

IMG_7376.JPGIMG_7377.JPGIMG_7378.JPG恵泉フットサルサークル2017年7月.JPGIMG_7379.JPGIMG_7380.JPG

 お別れの引用句、一本杉公園の看板で紹介されていた万葉歌を引きましょう。大意は「赤駒を山や野に放して捕らえかね、多摩の山なみを、夫を歩かせて行かせることであろうか」というもの。

「赤駒を山野に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ」

                 (宇遅部黒女(うぢべのくるめ) 『万葉集・巻二十』)

この記事へのコメント

2020年03月14日 12:51
安です。コロナウイルス騒ぎでのミュージアムの閉館は本当に困りますね。林さんの行動力を見習いたい…
恵泉のお仕事、本当にお疲れさまでした。
2020年03月14日 13:18
安さま、コメントをありがとうございます。コロナウイルスに対する自粛の過剰反応に憤慨しています。しかしこの騒動、早く終息してくれ!です。
二日市健司
2020年03月16日 09:14
林先生 
ブログ拝見しました。後半多摩ニュータウンの方にひかれてしまいました(笑)
今から40年前は多摩地区の高校はどこも生徒であふれかえっていて、私の母校も1学年300名近くいました。その中でも多摩ニュータウン近郊の中学校から進学した生徒のレベルの高かったこと、母校の周りのみならず私の自宅の周辺も雑木林があちこちにあったことを懐かしく思い出しました。
引き続きどうぞよろしくお願いをいたします。


ミニヨン
2020年03月16日 09:57
二日市さま

 昭和の時代の多摩方面のこと、色々とうかがっていますが、そうでしたか、多摩ニュータウンも住人の高齢化が問題になっていますね。小生の暮らす仙川地域もこの20年の間に「生産緑地」がどんどんと宅地になってしまいました。